損切りの判断

友人が苦境に立たされている。友人として助けたいとは思い、行動はしているが正直できることは極めて少ない状況にある。

そもそもその友人の決断と行動については、数年前に私はやめるように忠告していた(消極的な反対)ものだ。

当時、「積極的な反対」をしなかったのは絶対的な証拠や根拠に欠けていたからであり、一方で「反対」だったのは「多数の傍証があり、失敗が容易に推測できたから」だ。無論、友人に傍証を示しはしたが「リスクは承知の上」と言われたらそれを押しとどめ、強制するほどのことは私にはできなかった。

いまさら「それ見たことか、私の忠告を無視した報いだ」などと友人を責めたり、辱めるつもりは微塵もない。また自分の見識の正しさを誇るつもりもない。

私の主目的は徹頭徹尾「全体の利益最大化、損失最小化」にあり、その全体には当然に友人も含まれている。忠告は目的のための手段に過ぎないので固執、拘泥するつもりはない。(手段にこだわる人というのは少なからず存在するが、おそらく当初の目的を見失っているのだろう)

現時点の私の善後策である「損切りの提案」にも友人は難色を示している。難色を示す「理由を示さないまま」なので、当事者ではない私としても大した助言はできない。

ただ結果的に「友人の決断の遅れ」は私の身内の人生に影響するレベルでのダメージを現在進行形で発生し続けている。友人が期日までに善後策をとらないのであれば、今度は私が友人を損切りせざるを得ないかもしれない。実に悲しいことだが、負の実績や絶対的な証拠が大量にある。数年前と同じ過ちを繰り返すのでは成長がない。

損切りの判断というのは実に難しい。自らの手で損害を確定する行為だからだ。組織的な不正(いじめなど)の報告が遅れたり、握りつぶされるのと同じ構図にある。だが決断を遅らせると致命傷になるなら、勇気をもって踏み出すしかないのだ。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。