「紙一重の強さ」=接戦ではない(達人の領域では)

■羽生九段「驚嘆すべき大記録」=藤井五冠誕生で―将棋
(時事通信社 - 02月12日 19:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6848610

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アマチュア2段程度の「見立て」ですが。
以前の第一人者、元「神様」というか「初代将棋星人」のお言葉を見立てしてみまする。
(心情的には「以前」「元」という言葉はなくしたいのですが、客観的にはご本人がおっしゃってるように周囲の強さが目立っているので)

「19歳での五冠達成は驚嘆すべき大記録。一方で昨今の内容の充実ぶりを考えると不思議ではないとも思う。今回の王将戦のシリーズは激戦の対局が続いたが、その中で藤井さんの紙一重の強さが光った」

藤井さんのみならず、他の競技者にも配慮しつつ、それでも注意rつ客観的に状況を評している。特に表面化しなかった水面下の多種多様に及ぶ好手・妙手、駆け引きまで考えると簡単な言葉で表現できるものではない。

紙一重の強さというと、一見「超接戦で大差がなかった」とも読み取れますが、これは上級者や達人同士になればなるほど意味合いが違うものです。

卑近な事例で恐縮ながら、私が25年前に長兄に23手詰めを決められて、1手差で負けた将棋の対局後の会話。
私(敗者)「一手差だからなぁ。惜しかったよね。悔しい」
兄(勝者)「ん?一手差は読み切ってたら安全勝ちってことだぞ?」

はるかに腕前が上のプロ同士であればあるほど「一手差がより明確に浮き彫りになる」のではなかろうか。

将棋において、その「一手差=刹那の見切り」を見極めるのが「精緻を極めとてつもなく難しいこと」なので。私程度の者からすれば、はるか上空で雲や霞がかかるような場所で行われている雲上人の戦いを見上げているという感覚でしょうか。雲や霞が多くてよくわからないけれど、ときたま見える部分で「なんかすげぇことになってる」という感覚。雲や霞が晴れるのはCPUの形成評価だったり、解説するプロの先生の開設のうまさだったり、自分なりに知ってる局面に近いパターンや手筋が出た時だったりと極めて限定的なところですが。

で、藤井さんはその刹那の見切り、距離感覚に優れているので、目の前を剣先がかすめる状況でも見切っていて、ガードを必要最小限最低限にして踏み込む。結果的に盤面だけ見ると「接戦に見えてしまう」という不思議さが伝わるかどうか。

羽生先生を評した言葉に「大山の力強い受け、中原の自然流の攻め、加藤(一)の重厚な攻め、谷川の光速の寄せ、米長の泥沼流の指し回し、佐藤(康)の緻密流の深い読み、丸山の激辛流の指し回し、森内の鉄板流の受け、といった歴代名人の長所を状況に応じて指し手に反映させる‘歴代名人の長所をすべて兼ね備えた男’」というのがあった(すべてのウルトラ兄弟の武器を奪って使っていたエースキラーかよw)。

現状これを引き継いでいるのは藤井さんなのだろう。

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ハナー
CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。