冴えなかった高校時代の話
高校の頃、毎日手帳のカレンダーに正の字を書いていた時期がある。
「今日は何人の人と話したか……」と。
充実した中学時代がもたらした弊害
僕は中学時代、部活ではバスケ部で部長を務め、学年でも学年委員長を務めるような、いわゆる"目立つタイプ"だった。そのせいか、集団の中心には常に自分がいると思い込んで、高校でもそれが続くと思っていた。
しかし実際に入学してみると、当然周りは自分のことを知らないため、いきなり自分が集団の中心になることはなかった。今思えば当たり前のことだが、当時の僕は想像していた高校生活と現実の乖離に焦り、必死になって集団の中心になろうとした。
無理に笑いを取ろうとしたり、他人をいじることで存在意義を確立しようとする自分の姿は、客観的に見れば滑稽でしかなく、自分自身も次第にそれに気づき始め、集団で生きることがつらくなっていった。
高2の夏に部活をやめた
高校では小学校の頃から続けていたためバスケ部に入ったが、高2の夏に辞めてしまった。理由は、部員には「勉強を頑張りたいから」と言ったが、実際は部内での自分の居場所が分からなくなったからだった。別に誰かからいじめられていたわけではない。ただ、この頃から、人間関係が嫌になり、一人でいることを好むようになっていた。
かといって大切な高校生活を無駄にはしたくなかったし、部員にも偽りとはいえ、勉強を頑張ると言ってしまったため、それまで部活動に充てていた時間をすべて勉強に費やした。
実際、部活動を辞めて以降の学校の定期テストでは全て学年1位をとっている。冴えなかった高校時代のごくわずかな誇れることだ。
こんなにも頑張れたのは、充実した高校生活を送れていない僕を心配してくれていた親を安心させたいという思いのみで、特に、僕が通っていた私立高校は、成績優秀者は学費が免除される特待生制度があり、それに選ばれて親を喜ばせたかった。
それが唯一のモチベーションで、勉強は楽しくはなかったけれど、他にやることもなかったし、つまらない高校生活に目標ができたのはうれしかった。そして、特待生制度は前年度の定期考査の成績で決まるが、3年生のとき、無事にその制度を受けることができた。また、2年生の最後に受けた模試でも、順当にいけば目指していた国立大に行けるくらいの成績をとることができた。
満足のいく形で3年生を迎えることができた反面、勉強を頑張るあまり、交友関係は疎かになっていた。当時の僕はそんなことを気にしてはいなかったが、受験シーズンになって、友達がいないことをひどく後悔することになる。
精神的に不安定だった受験シーズン
僕の高校は私立大学の付属校で、内部進学を希望すればそこまで勉強をしなくとも系列の大学に進学できる。
しかし僕は一般受験で国立大への進学を希望した。一度その道を選択すると内部進学という選択肢は絶たれるが、友達もおらず、勉強だけが取り柄だった高校時代の僕にとって受験は正念場だった。
部活動を続けていた高2までは、それなりにクラスに友達がいたものの、辞めてからは勉強しか頭になく、高3のクラスではまともに話せる人が2,3人いるかいないかだった。席は1年間ずっと教卓の目の前で、成績がよかった僕は先生たちからそれなりに気に入られており、そこの席だと先生たちとよく話ができて、友達と話さなくて済む。席替えは定期的に行われていたが、僕は目が悪いと偽り、1年間そこの席にしてもらっていた。
友達と仲良くすること以上に勉強は大事だと思い込んでいたし、3年生の春くらいまでは、1人でいることがそれほどつらくなかった。
しかし、夏ごろになると、まもなく受験本番が迫っているということを強く意識し、勉強だけが取り柄の僕にとってそれは大きなプレッシャーになった。
通学中もお風呂に入っているときも、トイレにいるときも、四六時中受験のことだけを考えている。1番つらかったのが、そのせいで夜寝付けなかったことだ。布団に入っても受験のことが頭をよぎり、なかなか寝付けない。すると、眠れずにぼーっとしている時間がもったいないと考えて机に向かう。そんな状態で集中できるわけもないのに、ひたすら非効率な勉強を進める。そして、その睡眠不足が翌日の勉強に響く。この悪循環から脱却できない日々が続いた。
勉強しか頭になかったあの時に、友達と楽しい話や、抱えていた悩みを共有できていたらもっと心に余裕が生まれていただろう。かつて自分から切り離したものなのに、そのときは友達が欲しくて仕方がなかった。しかし、もう高3の秋ごろでそこから新しい友達を作ることはできなかった。
その頃からだ。友達がいないことを自虐的に捉えることで救われるのではないかと思い、手帳のカレンダーに毎日正の字を書くようになったのは。僕は毎日、その日何人と話したかを記していた。小学校の頃に、たくさんの人と仲良くなろうという目的で、同じようなことをやっていた気がする。そのときは数が多いほど先生に褒められ、喜んでいたが、高3の当時は数が少ないほど、逆に誇らしかった。
結局僕は2年生の頃から目指していた国立大学に合格することはできなかった。理由は明白である。受験直前の大事な追い込みの時期に、効率的な勉強が全くできなかったからだ。なんとかそれまでの貯金で滑り止めの私立大学には合格できたものの、そこは僕が通っていた高校系列の大学だった。
友達を作らず勉強だけを頑張ってきたのに、友達がたくさんいて、そこまで勉強に力を入れてこなかった人たちと同じ大学に進学したのだ。
当時はその理不尽さに苛立ち、劣等感を抱いていたが、今となってはなんだか高校時代の自分を象徴しているかのような結果で、面白いとすら思っている。
一人でも十分楽しいと思える今
高校時代、一人でいることに慣れてしまったせいで、大学生になった今でも友達ができない。ただ、あの時ほどつらくはない。お笑いという夢中になれるものを見つけられたからだ。
この前投稿した「初めてお笑いライブに出演した話」は、有難いことに15000人近くの人に見てもらった。そのときはひと笑いも取れなかったが、先日人生で2回目のお笑いライブに出演し、そこそこ笑いを取ることができた。
少なくとも大学生のうちはお笑いを続けて、自分の存在意義を保てたらなと思う。