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シルバー世代の底力

最近私はシルバー世代と交流する機会が増えた。というのも今働いているところがたまたまシルバー世代の方が多く活躍しているところで、20代はまさに希少。40代でも若いと言われる職場でおばあちゃんの様な存在の方々と一緒に働かせてもらっている。

そもそもシルバー世代とは、という方もいるかもしれないので少し説明すると65歳以上の人のことを指す。白髪が増えるからシルバーと呼ばれるとか、英語のsilverの意味は全く関係ないらしい。
シルバーの本当の理由は昔JRが国鉄だった時代に、優先席と普通席を区別しようとして、たまたま使われたシートの色がシルバーだった為、シルバー=ご年配の方、という現在の使い方になったそうだ。

そんな私は現職を応募したとき、シルバー世代がほとんどだなんてことも知らずに受けた。面接で「多くの従業員があなたのおばあちゃんくらいの方なんですけどやっていけそうですか」と聞かれた。そんなこと今までの面接で聞かれたことがなかったのでより一層興味が湧いた。
そして無事合格した時には、「なんであなたがこんなところで働こうと思ったの」と面接官ではないまた別の人にも聞かれた。
「たまたま求人を見た」とか「1人で淡々と仕事ができるから」とか「もう働かせてくれるならどこでもいい」とか人には言えない気持ちが頭に浮かんだので、その時は愛想笑いしかできなかった。

話は戻り、そんな私は最近シルバー世代の底力にたいへん驚かされている。そして、私はシルバー世代のことを勘違いしてたことに気づかされた。
ずっと「お年寄りには優しくしましょう」と教えられてきた。しかし、優しくしましょう、どころか私の方が優しくされる側で、元気を貰う側で、なんなら私よりも生きるパワーがみなぎっていると感じることが多々ある。

これまで、お年寄りは力が弱く、誰かの力が必要で、っていう漠然とした勝手なイメージを抱いていた。しかし、私の祖母なり、職場のシルバー同僚様なり、皆さん本当に元気なのである。

1番身近にいる元気なシルバーが私の祖母だ。祖母は現在75歳。定年まで勤めあげ、その後は家で家事をしながら過ごしていた。共働きの両親に代わり、私たち3兄弟はほとんど祖母に育てられたと言っても過言ではない。人生で1番私を叱ってくれたと思うし、祖母と喧嘩をし口を聞かない期間もあった。
中学生の時なんて、部活動の朝練習にいつもギリギリな私のためにおにぎりを作ってくれたり、自転車を車庫から出して、早く行けるようにしてくれていた。そんな祖母が何ヶ月前からか、もう一度働き始めた。
お掃除のアルバイトらしく、「なぜ始めたのか」と聞いたら、「社会貢献したい、もう一度」と言っていた。その時、私はニートだった。「ニートの孫と働く祖母」
なんとも馴染みがない言葉だった。

祖母は昔からパワフルだった。よく食べてよく動く。自転車をこげば、町の人が驚くぐらい速く、うんと年下の私の方がついていくのに必死だった。そんな祖母に最近驚かされたことが、私が用事で帰省していたときのこと。東京に戻るバス停まで自宅から1.7km、歩いてだいたい20分。趣味散歩の私は、こんな晴れた日に歩かないなんて勿体無いと思い歩いてバス停までキャリーケースをガラガラしながら歩くことにした。それをたまたま家で夕ご飯の準備をしていた祖母が、「私の自転車の後ろにその荷物載せてってあげる!」と言ってきた。

私は驚いた。75の祖母がかなり重いキャリーバッグを載せながら自転車を漕ぐなんて私が怖い!と思った。もし、祖母が倒れて頭でもぶつけたらどうしようか、なんて不安に駆られたし、そもそも漕げるのか、バランスとれるのか、と思っていた。

しかし、以前祖母の有難いお節介を断って東京に帰ってきた時、なんだか胸にモヤモヤする気持ちを抱えていたので今回はお願いすることにした。祖母の有難いお節介を受け入れることは私にとっても祖母にとっても良いことなのだと感じたから。そうして、「あんた先に歩いてなさい、私自転車だから」って先にバス停まで歩いて行くことを促された。

私は歩き始めた。財布や携帯、本など貴重品しか入ってない軽い鞄と共に。
5分後くらいに、祖母が後ろからやってきて私に追いついてきた。私は、無駄に化粧品やらシャンプーやらこれじゃないと嫌!と思う女なのでかなりそのキャリーは重いはずなのに普通に自転車を漕いで来た。自分のバランスの心配より、私のキャリーのバランスが心配だったのか、白い紐でキツく括られていた。それを見てなぜかそのダサさが私には心地よかった。

さすがに少し重そうだったがそれでもしっかりバランスをとって普通に漕いでいる祖母を見て、自分が思っているより、お年寄りはお年寄りではないのかもしれない、と感じた。いつまでも私の祖母は私の祖母で、祖母からしたら私はいつまででも、もちろん22歳になった今でも、可愛い孫なのかもしれない。

バス停まで着いた。私は終始早歩き、途中走ったりして祖母の自転車と同じスピードで付いていくのに必死だった。本当にあの頃はバス停まで荷物も人間も無事に着いて良かったと思う。

バスが来る前に祖母とバイバイした。
その後、年末に帰った時はもちろん、「あのときちゃんとバスに乗れたか」って聞かれたし「乗るまで見送ろうかと思ったけど、真央ちゃんが嫌がるかと思って辞めたわ」って言った。もう何にでも反抗するお年頃じゃないよ、って言いたかったけど何も言えなかった。わかんないけど。多分、いろいろ酷いことを言ってきた自分を後悔していたんだろう。

他にもシルバー世代の会話や行動は面白い。40になっても結婚しない娘達を心配しながらも、なんだかんだその娘さんのことを話しているときの表情はものすごく柔らかいし、「昨日も娘と2人、カラオケでガーガー歌ってきたわ〜」なんて話をしていた。「この歳で親とカラオケなんて!」と、文句を言っていたがその表情も嬉しそうだった。もう1人のおばちゃんが「うちもよ〜」なんて同調していたけど、その表情からは、娘が元気でいてくれさえいたらそれでいいじゃない!という気持ちが伝わった。

もう1人の一緒に働かせてもらっているおばあちゃんは、本気で「眼鏡どこ行った」って言いながら頭の上にあるし、「あれ、私何しようとしたんだっけ?」を1日何回でも言う。

それでも、私は彼女たちからたくさんのことを学んでいる最中だ。例えば、接客業をしていて、やはりシルバー世代特有の物腰の柔らかい接客の仕方は私がいくら真似しようとしてもまだできないし、その話し方や存在の在り方は疲れ切った人間を癒す力が十分にあるだろう。

また、全てにおいて丁寧に物事を教えてくれる。そのやり方は、私たち若いものがぜひ見習いたいポイントだと思った。丁寧に教えてくれるので、私自身もわからないことをすぐき聞くことができる。忙しそうな人には、遠慮して聞けない時があるがおばちゃん特有の雰囲気が私をそうさせてくれる。

最後に、私はもっと30、40歳になると自然と落ち着きが出てきて、人生に余裕がでてくる、なんてメルヘンに考えていた。しかし、現実は全くそうではなく30、40になっても苦労が多いし心は20代のまま(いい意味で)、という人も何人も見てきた。大好きな30代の歯医者さんに言われたことが今でも心に残っている。
「30歳って大人だと思うでしょ。でも実際は30になっても、やべーって言ってるよ」って。いくつになってもやべーって言って大笑いしている自分以外想像がつかない。

これと同じで、60、70代も意外と心は若いままなのかもしれない。私が思ってるより、〝おばあちゃん‘’じゃないし、想像していたよりもおばあちゃん達はまだまだ女なのかもしれない。だからお喋りが大好きだし他人の悪口や朝ドラの評価をする。女はいつまで経っても女だということを知った。それって最高に楽しいことだと思う。

コロナウイルスが流行っている昨今、シルバー世代の致死率が高いという情報を知って、シルバー世代について書こうと思った。私が今まで見てきたシルバー世代の底力を、今ここで存分に発揮してほしいし、これからも、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ文句を言ってほしい。おばちゃん特有の図太さでなんとか乗り切ってもらいたい。そして、そんなおばちゃんになるために、私も今を楽しみたい。

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真央
あちゃちゃちゃちゃ〜。