【SEX・AND・THE・CITY】を見てみたら
最近の私ときたら、これまで通り2ヶ月にいっぺんの何もしたくない時期を過ごしていた。その何もしたくない時期はおよそ2週間続き、なぜだかずっとダラーっと過ごす。
体は至って健康、でもなぜか怠いし眠たいし、なんにもしたくない、という時期を過ごしていたのでnoteも理想の頻度で更新しなかった。
だからといって、気分がずっとどん底を彷徨っている感じかと言われれば、そんなことはない。仕事には遅刻せず行くし(当たり前)、ある程度の家事もする。ゴミ出しにも積極的だし、洗濯も毎日する。もともと物があまりないので家の中がメチャクチャな状態になることはないのだが。
でもあるときを境になぜだか、いつものようにやる気が起き、ダラダラと過ごしていた自分が嘘のように別人になる。そういう時期を2ヶ月過ぎれば、また2週間ほど何もしない廃人に戻る。
もうかれこれ22年間、この性格と過ごしてきたので、今更直そうなどとは思いもしなくなり、最近はまぁ、またいつか溢れんばかりのヤル気がみなぎる時が来るだろう、と思っている。
そして、今日、まさしく、徐々にこの素晴らしい人生に対してまたもや力が湧いてきて、大掃除をし、少し不要なものを整理整頓し、このnoteを書き始めた。
この2週間で不要な贅肉を体につけたのも、今後の2週間で落としていきたい。
そうそう、このような廃人生活で私は体重が確実に増える。3~5キロは余裕で変化する。次第に足が痺れ始めたり、なんだか身体が重く感じたりするのがそろそろヤバいぞという体からの合図。
たいがい、この廃人生活の拠点はベッドの上な訳で、そりゃああっという間に太れるわけだ。だが私の凄いところは、あっという間に太れる様にあっという間に痩せられるのである。
即痩せを実感できるのもあと少し。それはわかっている。
もう少し時が経てば、無駄な贅肉が落ちづらくなり、どうして若い頃から運動しておかなかったんだろう、ええい、忌々しい、と嘆いている私を簡単に想像がつく。全くもって嫌だなあ。
どうして想像できる醜い姿を今のうちから対処しておかないのか。
あとになって必ず後悔する。それでも、やはり今をだらけていたいらしい。
そう、私は性格が2ヶ月ごとに変化する。なぜか約2ヶ月頑張る時期が続き、2週間ほど脱力期間(廃人生活)を超えたのち、また2ヶ月ほど、頑張る自分になるのである。
私は常に、今日という日において“満足感”や“達成感”というものが必要不可欠な人間なのだ。
自分に対して達成感を得られなかった日は、なぜだか罪悪感を感じる。そんな日に限って普段は控えている小麦粉類(特に甘い菓子パンやパスタ)を食べたくなるし、デザートも普段はチョコレートにしているものが、洋菓子などといった高カロリーなものをスーパーで手に取ってしまう。いわゆる自制心が効かなくなる。
そしてそれらを食べた自分が嫌になり、楽しく美味しく食事ができない。
なんて贅沢な悩みだ。だから私はパスタを食べる自分がずっと嫌いなのだ。
逆にしっかりと体を動かして、やるべきことをきちんとやっているとき、自分の体に合ったものを食べているときはものすごく毎日が楽しいし、スーパーのデザート売り場なんか目もくれない。しっかりと自分を自分でコントロールできる力がそのときはある。
でも2ヶ月経ち、少しの毎日の良いリズムが崩れ始めるとまたなんのやる気がない自分になる。最近はそんなやる気の出ないときは、あえて情報収集に徹しよう、なんて考え始めた。情報収集といっても、活動拠点のベッドの上でひたすら映画をみたり、国内外問わずドラマをみたり、TSUTAYAで借りてきた漫画に没頭する。
そして、約2週間後、私はしっかりと自分を元のやる気に漲っている状態の自分に戻す。自分をしゃんと戻せる力があるだけ褒め称えたいものだ。
戻せるのなら、初めから廃人になるなよ、と思われるかもしれない。しかし、申し訳ない、それは無理。
たまに失恋や一緒に住んでいる姉との金銭問題等によりイレギュラーが起こるのだが…。
話は戻り、最近、そういう時期を長い間ベッドで過ごしていた私は(もちろん夜な夜な)、少し古いアメリカの人気ドラマ【SEX・AND・THE・CITY】を初めて見た。
厳密にいうと、2度目なのだが、1番初めに見たときは、私は18歳で、「なんだこの女たちは、金持ちおばさんの妄想、非現実的、ありえない」と感じ最初の10分もしないうちに【FRIENDS】に切り替えた。
そんな私だったが、ここ4年で自分の考えが大きく変わったのか、まあ
“何か”が変わったのだろう。バカみたいに【SEX・AND・THE・CITY】にはまった。時間と排泄を忘れ熱中できるものは人生でごくわずかだからかなり面白かったのだろう。
18歳の私には共感できなかったものが22歳の私が共感できたこと。これが良い意味か悪い意味かは決められないが、間違いなく18歳〜22歳の時期の女が外見も内面もどのように変わるかで今後の人生に大きく影響することだろう。
そんなわけで、【SEX・AND・THE・CITY】を見終えて、いろいろ考えさせられた。1つ漠然と思ったことはNYの1998年とTOKYOの2020年の女と男の関係や考え方がなんにも変わらないこと。
そりゃ、この長い長い2000年以上続く人類の歴史の中のたった22年では男女の考え方は劇的には変わらないかもしれない。
しかし、いやだからこそ昔から女性たちは異性に対して悩み、幸福を感じ、色んな意味で泣いてきたのだ。さらに、当たり前だけど結婚や子供とか1人で出来ないからこそ難しいな、とかサマンサみたいな女絶対いるよね…っても思ったりした。
電話のシーンでアイファンじゃなくガラケーを使っているとか、子機からあまり見ない長い棒が出ているとかそういう違いはあったが、皆んなが皆んな恋愛において落ち込んだり、浮かれたり、泣いたり、友達に励まされたり、突然仕事に燃えたり…
この22年後の現在と比べても全く色褪せない【SEX・AND・THE・CITY】って偉大だと感じた。まあTOKYOとNYとは違いがあるかもしれない。しかし国が違っても心の底にあるものは、基本的にその人の個性だと私は思っているのでそういう面ではNYもTOKYOも同じだと思っている。
サラ・ジェシカ・パーカー演じる主人公のキャリーがコラムニストだということも勝手に私と通ずるものを感じた。恋愛、仕事、友情、(大方恋愛)で大忙しの彼女たちから学んだことは、とりあえず恋愛っていいもんだっていうこと。
シングルって最高だということ。
女4人でハンバーガー食べながら悪口で盛り上がることこの上ないっていうこと。
別に私はキャリーになりたいわけじゃない。でも、なぜかはまったドラマや映画の主人公って自分の人生に少しだけ影響を与えてくれる。いい意味でも悪い意味でも。
彼女たちは実在していないから、悪いところもなんだか可愛く見える。
ドラマの中のキャリーは30代の素敵な女性。ずっーとワインを飲んで友達とワイワイしていてほしい。結婚とか子供とかそんなこと考えずに自由気ままに生活していて欲しい。未来の心配なんてしたくない。自分の好きな記事を書いて馬鹿みたいにショッピングだけしていて欲しい。ずっと内面も外見もカッコいいキャリーでいて欲しい。
後半はほとんど私の幼稚な思い。でもその幼稚な思いが私に希望や夢を与えてくれる。ずっとカッコイイままのキャリーが私をもっと高めてくれる。
色んな作品があるが、やはり有名な作品は凄いな、面白いなと気付かされた。
【SEX・AND・THE・CITY】はシーズン1~6まであるし、さらに映画もある。
この外出自粛の今日この頃、根暗で出不精な私にはちょうど良い機会である。
キャリー達4人が最後どのような終わりを迎えるのか、この作品を全て見終わった頃、コロナウイルスも徐々に治まっていることを願う。
あちゃちゃちゃちゃ〜。