見出し画像

玉子焼き

母はお弁当に必ずと言っていいほど

玉子焼きを入れていた。

味付けは砂糖。

友人のお弁当に入っている玉子焼きがしょっぱくて

初めて玉子焼きの味付けに

しょっぱいという概念があることを知った。

母のお弁当人生は長かった。

まずは児童館時代の3年間。

加えて、これをいうと大概の人に驚かれるが

小学校・中学校の義務教育期間に

給食がなかったため合わせて9年間。

そして、バスで片道60分かけて通った高校時代の3年間。

計15年間、母はほぼ毎朝お弁当を作っていたのである。

今思うと本当にありがたく、母の存在は偉大だ。

学生時代は高校生になるにつれて

そのありがたみをひしひしと感じていた。

けれど小学生時代はそんな感謝もせず

母という存在はお弁当を作ってくれる

ということが当たり前だった。

そんな小学生の私は

母が作るお弁当に入っている玉子焼きが嫌いだった。

嫌いというのは大袈裟だけれど

お弁当に入っていても大して嬉しくなかったのは事実だ。

今は甘くてふわふわの玉子焼きが大好きで

お弁当には自分でも必ず入れたい一品なのだけど。

なんで嫌いだったのか。

それは玉子焼きに母の投げやり感が滲んでいたからだと思う。

私にとって玉子焼きは

ただただ甘くてボソボソしてる食べ物

でしかなかったのだ。

母は料理が苦手とか、そういうわけではない。

むしろ作るご飯は美味しくて

今でも実家に帰ると料理をリクエストするくらい。

ただ、どうしても小学生の時に食べていた玉子焼きは

好きになれなかった。

最近、友人からあることを聞いた。

自炊はいいことだけれど

自分の気分が落ち込んでいる時や沈んでいる時は

そのマイナスのエネルギーが料理にうつって

それを口にしてしまうから

そういう時はレトルト食品に頼るといいよ

そんなアドバイスを受けて

思い出したのは母の玉子焼き。

思えば小学生の時は母の情緒が不安定だった。

仕事でほとんど家にいない父

関係の良くない姑

そんな事態を良く理解せずわがままな子どもたち

特に私はわがままを言って

本当に母を困らせていたと思う。

そんな大変な状況でもお弁当を作り続けた母。

きっとお弁当にどんなおかずを入れるのか

レパートリーに悩んだ日もたくさんあっただろう。

気分が落ち込んでいる日もあっただろう。

今日は朝起きたくない、なんて日もあったろうに。

それでもお弁当を作ってくれていた。

そのおかずの玉子焼きに

母の心情が窺える。

小学生時代の私は正直で

玉子焼きを美味しくないと思っていたけれど。

今振り返ると

お弁当を作るという行為自体が

愛ということに

ただただ、感謝が溢れる。

大学生でのアルバイト経験で

ふわふわの玉子焼きを作れるようになった私は

帰省した時に実家で家族に振る舞ってみた。

それ以来、母も砂糖だけではなくて

少し出汁と水を入れたふわふわの玉子焼きを

作ってくれるようになった。

今度実家に帰ったらまた玉子焼きを作ろう。

刻んだネギを入れて

食感を出すのもいいなあ。

自分がご飯を作るようになって気づいたこと。

美味しいと言ってもらえると嬉しいということ。

料理を作ってくれた母にも

たくさん美味しいと伝えよう。

きっといいエネルギーが循環して

みんな幸せになると思う。

昔は嫌いだった玉子焼き。

今では私にとって家族愛の象徴となっている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?