母校にて
2017年12月19日のブログ記録(早川工業HPより転記)
市広報に弊社のLGBTへの取り組みが掲載されたことをきっかけに、母校(岐阜県立関高等学校)にて生徒さんたちとの交流の機会を頂くことになった。また、お声掛けを頂いた先生が次男の恩師であることも判明し、いそいそと出かけて行った。
関高校はSGH(スーパー・グローバル・ハイスクール)指定校であり、その活動の中でLGBTの啓発に取り組む生徒さん達7名と座談させて頂いた。
ですが!
LGBTの取り組みと言われても、
そんな大層なことはしていないのが現実である。
・就業規則に結婚の定義を一行追加
・みんなのトイレマークの設置
・エントリーシート(履歴書)から性別欄削除
・採用ポリシーに明記
以上である。(そもそも何にハードルがあるのか分からなかった。)
しかし、何が気づきだったのか?をお伝えしようと思った。
弊社はLGBTの方々に限らず、障がいを持った方々、どなたでも ”ものづくりに携わりたい方” は仲間としての対象である。
”多様性” という言葉がよく使われるようになったが、これを ”自分達以外の” と訳してはいないだろうか? もともと人は多様であり創造的であると思う。であるならば、この多様性という言葉は自分自身に向ける必要がある。しかしそれは、”普通こうである” とか ”一般的には” というものによって、かき消され、埋もれていき、見えなくなる。
なぜ、特性が際立った方々と一緒に働きたいか。
彼らと触れ合ったり、寄り添ったりすることで、私たち自身が埋もれている自分に気づくきっかけを得たいからだ。なぜなら、少数派と呼ばれる方々の多くは、自分は何者かというアイデンティティがしっかり根を張っていると感じるからだ。時にはそれに思い悩み、苦しみながらも自己に向き合ってきた力強さ、素直さがある。知的に障がいをもった方々も、自分のこだわりやルーティーンなど、誰の言葉にも影響されず続ける力を持っている。これらは私が到底持ち合わせていないものである。それを感じる必要があると思うからだ。
彼らは理解すべき対象でも、受け入れなければならない対象でもないのである。人として、しっかりと立っているのは彼らの方かもしれないと思うことがある。それを若い方々に伝えたいと思った。まずは知ること、ふれあうこと、寄り添うことを行動してみたい。
知識や準備よりも感じることを優先に考える企業が増えてくるとうれしく思う。どう対応すべきか?どうするべきか? 他社はどうやっている?”普通は”とか”一般的には”というものにとらわれすぎると、何もしないほうが無難という現実が現れる。
”Don't think ! Feeel !! (考えるな!感じろ!) " とつくづく思う今日この頃。
Zenschool という場で、心強い仲間と共に自己に向き合う経験をした。
自己に向き合い、個性を発揮できる職場から生まれたものづくりは、創造性にあふれ、共感が得られると信じているし、そうなりたいと思っている。道のりは長いかもしれないが、やりたい事なので続けることが出来ると感じている。
社会的役割よりも、”人” としての役割を先ずは自分自身の中に問いかけてみようと思ふ。