涙には訳がない。こともある。
知的障がいの長男が昨日から興奮気味で涙を流す。
今朝も朝から声は高らかに何かを発する。
涙をも時々、顔クシャクシャも時々。
こちらとしては、何か理由を考えてしまう。何か辛いのか?何か悲しいのか?はたまた何かを訴えたいのか?
もちろん言語での回答はない。よって、質問を反射的にしてしまう。
どうしたの?何があるのか?と。
その段階で私の思考の中に彼の表現が取り込まれてしまう。
そして、なぜが自分ももらい泣き。訳は探しても見つからず。
自分の感情が動く、彼の表現なのに。そっと自分を『渾沌』にいざなう。
自分の心の居心地はもちろん悪いが、その時間を愉しみたい。
神獣渾沌のようになりたいと思うけれども、こちら人間。
渾沌(こんとん、拼音: húndùn)または混沌は、中国神話に登場する怪物の一つ。四凶の一つとされる。その名の通り、混沌(カオス)を司る。
頭に目、鼻、耳、口の七孔が無く、脚が六本と六枚の翼が生えた姿で現される場合もある。道教の世界においては、「鴻鈞道人(こうきんどうじん)」という名で擬人化されている事があり、明代の神怪小説封神演義ではこの名で登場している。
感じることができるから良くも悪くも人間だもの。(笑)
多くの人は自分の感情を伝えたい時に涙するのだなと感じる。
伝わらない、伝えられないときに流す涙も「ある」のかもしれない。
感情表現という豊かさに、彼の人としての存在を感じる出来事だった。