眼はありのままを見ない
最近は長男と共に過ごす日常が多く、ネタがどうしても偏りがちではあるが、感じることだからしょうがないとしておく。
息子がチョッとイラついてる?
チョッとなにかが引っかかる?
そんな時にはいろんなものを細かくして、パラパラと宙に舞わせる。
何時間も。
細かくする作業は口で砕いたり、揉み込んで細かくするなどの工程を踏む。
壁紙などは格好の餌食となりやすい。💧
そのゴミ貯めておいてビンテージ瓶に詰めると、私の嗜好となり、ええ感じとなる。
これは自分のメンタルと絡み合うのだが、大抵の場合、壁はボロボロになるし、細か〜いゴミは床中に散るし、1日に何度も掃除機をかけなければならないし…
しかも、細かいゴミが口から肺に入り本人の身体にとって良くない!(人のためを考えている!コレが厄介な観点)
もう、いい加減にやめてよっ!
という気持ちになることがほとんどである。
先日も柱という強者に挑んでいて、ネズミかっ!という器用さで始めてしまった。
今日はゆっくりとつき合うかな。
と自分が決めた途端に、彼のパラパラ細かいゴミを散らす手さばきが、とってもしなやかで美しいことに気がついた。
そりゃそうだ。
何年にもわたり何度も何度も何度も同じ動きを続けているから、いわば職人みたいなもんだ。
この美しさに魅せられた私は動画をスローモーションで撮り楽しんだ。
自分の眼に見えているものをありのままに観ることは本当に難しい。観る側の観点というものに寄ってしまうから。
この自分の観点というものは、そのまんま自分自身も観ているから、
とっても厄介。
周りをありのままに観ることができたならば、
自分をありのままに感じることができるはず。
たぶん。おそらく、しらんけど。