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あかるく生きたいのにそのようにできない、でも最近は暗くもなくなったそのいきさつ:後編(陰陽の陽編)

前編(陰陽の陰)はこちら↓

あかるく生きたいのにそのようにできないのはもう性格、あきらめろ。こう思うようになったのはでも本当に最近だ。これは、ある程度回復して仕事も始め、普通の生活サイクルに戻ってきたころに、それでも自尊心の低さと希死念慮のかたまりが変わらず心にうずくまっていた時に、いいことがあったからというきっかけがある。

でもま、まだ全然の全然で暗いんですけどね!!

いいこと。とりあえず私はそのいいことによって人生観がアップデートされ、自尊心を取り戻し、希死念慮が粉砕された。今めっちゃ長生きしたい。めっちゃ長生きした先で、年老いてよぼよぼのしょぼしょぼの眼でまなざす世界が楽しみで仕方ない。なんでこうなったのか。自然とのコンタクトと生まれ直しである。

自然と言っても、山村だし、過酷な山登りをしたわけでもなければ、レイヴパーティーに参加したわけでもない。でもわたしにとってその接触は、書き綴るのが難しいのだが、「接触」としか言いようのないものだった。

経緯。

滋賀の山奥に、廃校の横にキャンプ場を併設し、教室で寝泊まりができる場所がある。そこで、パーティーが催されたのだ。そのパーティーは非常にヒッピー的で平和的でリーガルな運営がなされていた。パーティーは、フェスではなく、あくまで「ホームパーティー」の枠組みとして運営されているものだったので、その平和性、自主性、自由度の高さ、清潔さは、私がイメージするパーティーとはちがった。みんなが自分にできることを探し、積極的に協力し合い、掃除し、声をかけ、我を忘れず泥酔するという、奇跡のようなつどいであった。

私はそのつどいで「調理担当をお願いしたい」と依頼され、元家庭科室で数十人~数百人ぶんの料理を、一日中作る作業に4日間ほどいそしんだ。私はそのころ、「誰かに必要とされたい」という思いが強く、何か依頼されると舞い上がって一生懸命その作業を黙々とやる傾向にあった。しかしそれは間違っていて、にんげんは「誰かに必要とされたい=承認欲求の充足」ではなく、「自分にできることをただ一生懸命やる=結果として必要とされる」というのが今の私にとっては正しいプロセスだったと、今の私は考える。(あなたとは違うから鵜呑みにしないでほしくて2回書いた)

自分の能力を過信し、”こんなに能力がある私がここにいるから、誰か必要としてくれ”と主張していた当時の私は見苦しい。もちろん、見苦しいけど必要な人生の歴史であったと思うので決して私にとっては黒歴史ではない。当時迷惑をかけていた周囲の人たちには常に、カマキリが羽を広げて大きさをアピールしているような迷惑さを与えていたと思う。攻撃/威嚇の態度だから、誰にも相手にされなかった。(それでもここにいていい、カマキリがいるのもわるくない、と在席させてくれていた劇団には頭が上がらない)

そんなカマキリ状態の私は、みんなが車に乗り合いで温泉へ入浴に行く時間にも、夕飯を作らないと夕飯が間に合わない、という思いから、数日風呂にも入らずに調理に没頭していた。結果的に泥のように疲れ切った私は、数日後の朝に寝坊をした(寝坊、と思っている時点で私にこのパーティーを心から楽しむ余裕がなかったことが伝わると思う)。

誰よりも早く起きてみんなの朝ごはんのスープやフルーツやパンのカットをして、卵やウインナーとは分けてヴィーガンメニューも用意し…ちょっと書いててほんとに正気じゃないな……ひとにものを頼む、というシンプルな他者への信頼というものを、このころの私は全くできなかった。ひとにものを頼むということは、自分の能力が低いということを認識するということだったからだ。(そんなに誇るほどのものでもないのに恐るべき自尊心だ。)

追い詰められていたんだなあ。

で、寝坊の日…に転ずることになった日の朝である。

まずその日、朝起きたら、誰かが朝ごはんを作ってくれていたのでぞっとして飛び起きた!寝坊だ!

あわててキッチン(こと家庭科室)に飛び込むと、そこにいたのはあの2人だった。私を知っている人にはわかると思うのだけど、ムーミン谷から来たのかというような風情の、左京区でエスニックをお得意とする料理店を営む、あの妖精の2人である。あの妖精の2人にとってもはやこのエピソードは、とくに憶えていないような些細な瞬間だったと思われるのだが、わたしはあの二人のゆるゆるの雰囲気にまずなんとも朝一で救われたのだ。

「し~ちゃん疲れてるやろうしまだ寝とき~~」(この2人は語尾が常に”~”の伸び棒がつく)そういって何やら美味しそうな朝ごはんをいろいろ作ってくれている!ほっとして、寝室(こと茶道か何かの実習室)に帰るも、気が立ってしまったことと、匂いに誘われて目覚めだした人の身じろぎの物音で寝付くことができない。初めて「役割を手放した」ことに興奮もしていた。

寝つき直すのを諦め、起き上がった私は、川に行水しに行くことにした。季節は夏、朝から快晴なので、川での行水でもいい。私は私のやりたいことができる!私は、いまここで役割から解放されているのだから!

タオルとレモンせっけんのみを持って外に出た。会場の裏の谷へ降りる。山道などない、山肌にかろうじてついている獣道をずるずる滑るようにして小川に向かう。帰りにこの獣道を登れるだろうか。まあ、登れなくてもいい、このまま小川に降りて、身体を洗い、川に浮かぶことのほうが、私の頭の中にあるありとあらゆる物事よりもいま最も重要だ。

川辺に降り立つ。服を脱いで、タオルと一緒に近くの木にかける。全裸で真夏の山奥の小川にそっと浸入した!深さは立って肩まで水があるくらいだった。

なんの声も聞こえない。崖のすぐ上にみんながいるのに、谷底には太鼓の音すら聞こえない。少しだけぞっとする。もし崖を上がれなくても、みんなが楽しいままならばいい。でも私が消えたとなれば、あの幸せなパーティーは一転してしまうのでは?だって私は調理担当なのだから、ご飯ができないとなるとすぐに私の存在が消えてしまったことに気づいて、捜索が開始されるのでは?このころの私は、人に必要とされたくて自らしゃしゃり出て、与えられた責任に押しつぶされる、というほんとうに愚かな状態だった。(いまもまだ、その傾向はあるが、少なくとも心を駄目にするほどではない。)

ええい、ままよ。とりあえず、身体を洗うのよ!わたしは髪から身体から全身をレモンせっけん一発で洗いつくすストロングスタイルな行水をおこなった。

大きく息を吸って、川に頭まで潜る。髪についた泡を、水の流れの中で揉んで柔らかくゆすぐ。耳元を水が流れていく音がする。髪から泡が離れていくにしたがって髪を揉む手触りが変わる。耳元の水の音も変わる。おおよその泡が流されて、その泡たちが下流に行った頃合いで、水の中で目を開ける。

裸眼なのであまりよく見えなかったが、私の体より大きな岩、私の体より大きな倒木がみえた。水面からは見えなかった水の中にあるものの大きさにドキリとした。まだ、酸素はある。息が続かなくなるそのギリギリまで、水の中に居続ける。こらえきれずに息を吐く。途端に酸素が足りなくなって、そして水面に顔を出して一気に息を吸った。呼吸をぎりぎりまで我慢したから、目の前がくらくらして、つぎの瞬間。私は生まれ変わってしまった。

水上にさっきもあったはずなのに、さっきまでは一切聴こえなかった音が、一斉に私の耳に流れ込んできたのだ。

川のせせらぎ。

木の葉のそよぐ音。

鳥の声。虫の声。風の声。

枝が折れて落ちる音。

アレッ。なんだ、みんなの太鼓の音も聴こえる。声も聴こえる。なんだ、これは。こんなにたくさんの音が世界から流れ込んできているのに、私はさっきまで、何も聴こえていなかったというのか。そんなことがあるのか?

そして気づいた。「頭の中でわたしが喋りすぎていた」ことに。

頭の中で私が、私に向かって始終やむことなく喋りかけ続けていたのだ。その声が、水に潜ってぎりぎりまで息を止めていたことで、止んだのだ。なんて心の穏やかな瞬間だったことだろう。泣いた。

川に全裸で浮かんで、山の中にある音にただひたすらに耳を傾けて、ただ聴いていた。山にゆるされた感じがした。山は私が何もしなくても関係なく存在してるし、当たり前のように私を川に入れてくれるし、ぜんぜん怖いものじゃなかった。怖いと感じていたのはさっきまでの私に問題があったんだ。これが、わたしの自然との接触、陽に転じた瞬間だった

川のせせらぎ。木の葉のそよぐ音。鳥の声。虫の声。風の声。枝が折れて落ちる音。太鼓の音。みんなの声。そして誰かが近づいてくる足音。

足音?エッ!!

水に体を沈めて隠して音のする方を見ると、私が降りた山肌の少し向こうから、5歳くらいの男の子とお母さんが降りてくるのが見えた。まずい!こっちは全裸である。

「すみませーん!いま水浴びをしていて全裸なので、少し向こうを向いていてくれませんかー!」

「あっ、人がいた!わかりました、またあとで来ますねー」

そして親子はまた、谷の上に上がっていった。板を打ち付けて階段のようにしてある、整備された登山道を・・・笑。

もう、笑ったね。追い詰められて行水なんだか入水なんだかよくわからん鬼気迫るテンションで川に来たときの自分の、耳の悪さと視野の狭さに大笑いでした。きれいに整備された登山道、めちゃくちゃすぐそこにあったやん。

そして大笑いしたらめちゃくちゃ元気になって、水から出て、身体を拭いて、そしたら全身15か所くらいにヤマビルがくっついていて、悲鳴を上げました。ヤマビル、めちゃくちゃステルス機能搭載。

こうして、自分の身の程を知って自尊心がほどほどに萎み、希死念慮に溺れることもなくなってしまった私は、パーティーの後半も楽しくお料理ができました。そしてぜんぜん京都に帰りたくなくなって、滋賀にそのまま数日居続けたのでした!

(ちなみに、川から出て3時間半後くらいにまだ足が湿っている気がして、何かこぼしたのかと思い指の間を見たら、足の親指と人差し指の間にまだ!もう一匹!!ヤマビルが!!!くっついていて!!!!度肝を抜きました!!!ヤマビルのステルス機能マジ半端ない。)

おわり。

この文章は、何かの参考になるつもりでも、誰かの救いになるつもりでも何でもないんですけど、最後まで読んでくださってありがとうございました。そんなわけで、数年前から、おちこむこともあるけれど、私はげんきです。(魔女の宅急便)

やりなおしのおわり。

2020.6.8記


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