見出し画像

いきなり同性婚考察 『二十歳になったら』

インドカレーを食べながら、生まれてから20年間〝女〟を演じていたーーと彼は言った。

『二十歳になったら』


 「踏まれても、踏まれても、立ち上がる〜」

自分の名前にそんな言い回しを加える人物も、なかなかに珍しい部類だろう。

表情を見てもそのままだが、〝麦〟は言うのだーー、

「今、とてもシアワセですよ!」

同性婚の法制化が進まない日本を考えてみたくて、〝Transgender/性別違和〟(〝性同一性障害〟から呼称が変わった)の〝当事者〟とインドカレーを食べながら話をしているうちに、命題は思いもよらぬ方向に広がることになった。

MAX50のうちの辛さ35の本格インドカレーよりも、麦の話は辛かった。辛さを和らげる飲料〝ラッシー〟役は、彼と彼のパートナー女性の笑顔だったろう。(カライかツライか、お好きな読みでどうぞ)

なに? シアワセだと?

まずは〝過去〟をかいつまむ

記憶の一番最初から、麦は〝違和感〟を抱いていたのだという。

「なぜ〝あっち側〟じゃないんだろう…?」

〝青〟が欲しいのに〝ピンク〟を持たされる。 親はもちろん周囲の大人たちの態度は(友人たちももちろん)、麦にとって〝意外〟であり〝真逆〟だったそうだ。

ロボット vs お人形
昆虫 vs お花
ジャニーズ vs 少女アイドル
仮面ライダー vs セーラームーン

なぜ〝あっち側〟に呼んでもらえないのか?ーーだれにも言えず、なぜだかもわからず、麦は毎朝「我慢して」服を着ていた。

初恋相手は同級生の〝女子〟だったーーくらいは、大方の想像通りで、あまり面白味はないだろう。

では〝恐怖〟はどうだろう? セーラー服中学生のころ、〝性同一性障害〟(当時)について知ったとき、「とても怖かった」という。

怖い?

「どう生きればいいのか、まったくわからなかったから」

高校の終わりまでには、二〇歳になったら親に打ち明け、手術を受けることに決めていた。

そのための費用も、大学に通いながら自分で貯めた。

父は、憲法第13条を持ち出したという。

『すべて国民は、個人として尊重される。 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする』(e-Govより)

麦は今、アーティストであり、小学校教師でもある。

「とってもシアワセですよ!」

いいだろう、いいじゃないか! すばらしいことだ!

だが…しかし…なにかが引っかからないか?

「社会の分断を招く」

というのが、同性婚の法制化に躊躇している、政府関係者の見解だと聞く。

へえ? またどうして〝分断〟が予見されるってんだい?

あれじゃないの? それは単なる、Anachronism ーー前時代的な、同性愛者に対する〝個人的嫌悪〟を言っているのじゃないの?ーーとたかを括っていたのだが、おやおや? 麦のーー、

「今、とってもシアワセですよ!」

を聞いて、考え直した。

あなたはシアワセか?
私はシアワセか?
自分をシアワセとはっきり言える者が、どれだけいるだろう?

「分断」とはつまり、多くの国民たちが〝不公平〟だと感じる要素がそこにあるーーということなのではないかと気づかされたのだ。

〝賛成しかねる〟人々の心は、たとえばこうだーー、

〇〝性別違和〟として生まれたから、苦しかった?

ーーいやいや、男(女)として生まれても、苦しみはいくらもあるさ!

〇 自殺も考えた?

ーーいやいや、人はだれしも自殺の一度や二度くらい考えたことがあるさ!

ーー同性愛者だけが社会的に認知されるのは、不公平だ

ーー同性愛者だけが自分の特異性を解放して生きられるのは、不公平だ

そんな考え方があったとて、僕もそれは、否定も揶揄もしないよ。

手っ取り早く日本の問題点を言うなら

イギリスの同性婚法制化(13年)とLGBTQ+の差別撤廃に尽力した『Stonewall』という団体の広報担当Robbie de Santos氏の発言に垣間見えるーー、 「差別から守られる法律がなければ、あなたの職場で同性愛者の同僚は私生活を打ち明けられない。何かを隠し、最低限の人間関係しか築けなければ、チームとして最高の力は発揮できない」(Tokyo Web)

どうかな? よく読んでみた? この国では、同性愛者うんぬん〝以前〟の問題みたいではないですか? 

つまりだ、〝シアワセ〟を公然と口にできるほどには、社会のなかで〝自分〟を自由に解放できやしないのが、そもそもの日本なのではないでしょうか?

ーー 男として生まれ、社会の中で、どれだけ〝自分〟を抑えて生きてきたと思ってるんだ!

ーー女として生まれ、社会の中で、どれだけ〝自分〟を抑えて、損していると思ってんのよ!

そう述べる人々がいたとて、まったくおかしくはないだろう?

ーーTransition(性転換)治療を受けて得られるような、自己解放の機会など、そもそも我らにはない!

ーーそれなら私の〝特異性〟も認めてください!

とばかりに、〝ロリータ趣味〟や〝猟奇趣味〟を挙げる人がいたとて、無碍に否定するわけにもいかない気もする。 〝Diversity/多様性〟とは、〝線引き〟をしないことにこそ、意義があるように思うからだよ…。

さて、どうしたものか…う〜む…

麦は教師なのだ。頼まれれば、講演で自分のことを話す。

「同じ苦しみを味わっている子供たちを助けたい」

という思いからだが、学校側からは〝口外するな〟と言われもする。 親たちのこういう声が聞こえてくるだろう?

ーーそんなことを子供に吹き込むな!

ーーウチの子が同性愛者になったらどうしてくれる?!

ーー性転換手術したがるようなことになったら、いったいだれが責任取るんですか?!

ほうら、ここはトンネルの中。踏み込んでしまった迷妄の闇…。

まぁ、当たり障りを避けていてはなにも書けないから、個人的なことを灯にするなら、海外の、明るく、快活で、気さくで、カラフルな〝民衆社会〟を知る者にとっては、この国のアナクロニズムは冗談のようだし、むしろ法制化するには、同性婚こそが、社会の〝多様性〟の促進とあらゆる〝差別撤廃〟の実現のために、その最初の一歩として、一番実行しやすく、文化的な因習の濃い日本においてこそ、高い効果が望めるものであろうと思うのだ。

あ? 手放しに賛成してしまった? ふふふ?

だってさぁ〜、

ピアスだめ
指輪だめ
サングラスだめ
金髪だめ
ヒゲだめ
被り物だめ
タトゥーはもちろんお断り

なんてことを〝身嗜み〟と称して言うところがいまだにある国なんだから〜!

〝勇気〟を英語でCourageという

その原語Corは、ラテン語で〝Heart〟のこと。

つまり〝勇気〟とは、〝To tell someone what you are.〟〝自分が何者であるかをだれかに伝える〟ことである。

そしてそんな〝Relationship/人間関係〟こそが〝Happiness〟の源なのだーーという海外での提唱を頻繁に耳にする昨今だ。

それは麦の笑顔の背景にあるもの、そのものなのかもしれない…ではないですか?

アーティスト麦は〝仮面〟を創る。

(仮面を〝脱いだ〟はずの彼が、まだ夥しい数の仮面を創りつづけていることに、いったいどんな意味があるのかーーを考えてみるのも面白い)

意匠も、色使い(自作泥絵の具)も、そこに産み出される仮面群は〝本物〟のように見える。

むしろ作者の影も、主義主張も、まったく見えはしない。

200年前、2000年前のものであってもおかしくないほどだ。

おそらくだか、彼は古えの〝呪術〟にすがったのだろうと、僕は思った。

〝人〟が〝生きる〟うえで必要としていた〝神秘力〟に頼ったのだと。

〝人〟の〝永続性〟への渇望ーー〝生まれ変わり〟を求めて。

声をかけてきたのは彼なのだ

海外ならよくあるが、そんなことをする〝男〟は日本にはあまりいない。(見た目があまりにも〝変わり者〟だからね(笑))

僕がどれほどの幸運をもってして麦に出会ったのかはわからない。

どのくらいの絶対数がいるのかは不明ながら、彼のような、自分の肉体をTransformーー改造したような若者たちに、この国を改造できないわけもあるまいよ。

変わることは〝必定〟なのだし、

老人たちが〝怯えている〟だけなのだから。

長いついでにジョージ・バーナード・ショウの言葉を引用して閉めよう。

Progress is impossible without change and those who cannot change their minds cannot change anything.

変化のないところに進歩はない。自分の心を変えられない者にはなにも変えられない。

Love & Peace,
MAZKIYO
©2023 Kiyo Matsumoto All International Rights Reserve

いいなと思ったら応援しよう!