「善意」と「悪意」の純度とクズ男について
「クズ男」しか愛せない。けど、それにはちゃんと理屈があるって話してええ? ええな。おっけ。
自分で言うのもなんやけど、一応冷静な方やと思う。多分。ちゃんと物事を俯瞰で見ることも比較的できる。一個のことに向かって猪突猛進、恋は盲目、まっしぐら、みたいなことにはならんタイプやと、自分では思ってる。けども、やっぱ好きになるの基本的には「クズ男」。なんで?
考えた結果としては、「純度」かなと。
「クズ男」って何を持ってクズ男と定義するかは人によって違うと思うけど、私が思ってるクズ男は、いわゆる「ヒモ」。優しくしてくれなくていい。むしろぶん殴ってくれていい。酒とギャンブルに溺れて、私の金だけが目当てでも、それでもいい。その方が安心出来るから。
正直、正直さ。「クズ男」が好きって言ったって、そりゃあ優しくて健気で大事にしてくれる人の方がええよ。速攻で矛盾。けど、そりゃあそうなのよ。
ただ、それって怖くね? とも思うわけ、同時に。
ここで「純度」の話に戻るけど。
個人的に、純度100%の「善意」って無いと思ってる。
「善意」には必ず裏があって、何かの見返りが必要になってくる。優しくされたらその分、いやそれ以上にこっちが優しく、悪いことも許さないといけなくなる。ような気がする。財布を届けてくれた人に謝礼を払わないとなんとなく「嘘やん……」っていう空気になるのと一緒で。別に見返りを求めてなかったとしても、心のどっかで「こいつ払わないんだ……へ〜」っていうちょっとした見下しの姿勢が出来てしまう気がする。善意はどこまでいっても80%くらいの純度にしかならん。っていうのが持論。
それがね、「悪意」は純度100%なのよ。混じりっけのある「悪意」って、多分存在せんのよ。
「悪意」ってのは、それが生まれた時点で良心とかを遥かに超える。あると思うよ、良心の呵責は。けど、それを大幅に超えたところに生まれるのが「悪意」やんか。良心の呵責を超えない悪意は悪意じゃないのよ、表に出てこずに消えていくんやから。コンビニで店員に怒鳴り散らかしてるおっさんとか、あれ「悪意」の塊やん。どうにかして相手を困らせてやろう、言い任せてやろう、こっちの方が優位であることを教えてやろう、っていう「悪意」。そこに混じりっけ、ありますか? って話。
私は、純度80%の「善意」を受け取って、残りの20%のことを考えるよりも、純度100%の「悪意」を受け取る方がラクやなって思う。
言うなれば、「善意」って煙草なわけ。じっくりゆっくり、毒が回る感じ。「善意」に混じった20%の裏が溜まりに溜まったら、人って爆発すると思う。私がその裏に気付けずに、不平不満を知らん間に相手の内に溜め込んでるとしたら? そうなったら私は、ある時突然「善意」で動いてくれていたはずの優しい人を失ってしまうことになる。あ、こいつダメだわって急に突っぱねられることになる。鈍感で変化に気付きにくい性格の私は、それが怖い。こっちに全く悪気が無くても、突然友達やら恋人やら良くしてくれた人を失う可能性があることが、超絶怖い。
それがどうよ、純度100%の「悪意」っていわば青酸カリみたいなもん。厳密に言うと青酸カリの毒性はそんなに強くないらしいねんけど、まあ今回は分かりやすく「毒物!」って感じの名前してるから採用。100%の悪意は、向けられた瞬間「死」なわけよ。考える暇もなく、死。こりゃあラクよ。「悪意」を向けられた瞬間、私とその人の関係は分かりやすく終了。分かりやすい、これが何より嬉しい。人の言葉の背後とかを読み取るのが苦手やから、全部言葉にしてくれんと分からん。だから、思いっきり青酸カリ飲ませて一瞬で殺して欲しいわけ。じわじわ体を蝕まずに。
そこで、「クズ男」の出番。私の定義する「クズ男」は、暴言も吐くし暴力も振るう。それは100%の悪意から来る行動で分かりやすい。
けど、そこで愛想尽かしてどっか行かれたら困るのよ、こっちからしたら。だって普通に寂しいから。だから、そこに「ヒモ」要素を付け足すわけ。そしたらどうだい。
「100%の分かりやすい悪意を向けながらも、私から離れない人間」の出来上がり。最高じゃねえの。
一口に「クズ男が好き」って言うたって、一応複雑な理屈があるんよね。まず人の行動全てに裏があって、100%の善意など無いって結論づけている辺りかなり偏ってはいると思うけど。けど、そう前提しておいた方がさ。裏切られた時ラクよ。別にやべー修羅場くぐってきたわけやないのにこんな考えに至ったの謎やけども。
まあ長々と説明したけど、最後に1つ言いたいことがあるとすれば。
「クズ男っつっても、顔面綺麗じゃなかったらただのゴミカスゲボ野郎やから軽い気持ちでクズ男になろうとすんなよ、男共」です。
ありがとうございました。
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