推しが、出来た。【三題噺トレーニング】

題:「推し」「キッチン」「小説」

「推し」が出来た。私は茫然と立ち尽くす。さっきまでの涙もすっかり引っ込んで、酔いもすっかり冷めて、私は茫然と立ち尽くす。

推しの熱愛報道が出て、私は発狂した。昼休憩にTwitterを見たら、推しが週刊誌に載っていた。しかも、思いっきり路上でキスをしていた。私は発狂した。仕事場でいきなりぼろぼろ泣き出した私を見かねた仲のいい上司が、家まで社用車で送ってくれた。推しが、推しが、と嗚咽混じりに言う私を、上司は責めなかった。上司は落ち着き払って、「私にもそんな時があった、数年前に」とだけ言った。上司の推しは、もう芸能界にいない。
家に帰ってきた私は、ワインをラッパ飲みした。そこからの記憶は曖昧だ。確か、「いっぱい」という推しのソロ曲を思い出したのだ。「これは僕の作り方です。みんなの彼氏になるには甘すぎるかな?」という言葉と共にリリースされたその曲。
「たっぷりのお砂糖、フルーツはイチゴじゃなきゃダメ、あまあまじゃ飽きちゃうでしょ、だからちょっとだけスパイス、後はぎゅっとした君からの愛をありったけ、それじゃ熱すぎるから氷を一つ、大好きなネイルチップとチョコチップで楽しんで」。
何が「みんなの彼氏」だ。今思えばなんなんだ、このダサい歌詞は。そんなことを叫びながら、「じゃあやってやらあ」と、家の中にあったありったけの砂糖と、腐りかけたイチゴ、黒コショウ、氷、ネイルチップと、おやつに買ってあったチョコチップクッキーを鍋に投げ込み、火を付けた。完全にどうかしてしまっていた私は、その鍋を火にかけたままうとうとし始めた。
ふと目が覚めて、私は一体何をしてるんだと我に返り、その自分も情けなくなりながらひとしきり泣き、ふとコンロを見たら、「推し」が出来ていた。そして、現在に至る。

鍋の中から、「推し」がはみ出ている。正しく言うと、尻だけを鍋に突っ込んだ状態で、推しの上半身と長い足がはみ出ている。口をぱくぱくしながらその光景を眺める。泣き叫んだあとだからなのか、さっぱり声が出ない。一人暮らしの家に、推しの恰好をしているとはいえ男が、裸で、鍋の中に入っているのだから、絶対に叫んで助けを求めた方がいいのは確かなのだが、声が出ない。
やばい、やばい、という言葉だけが頭を埋め尽くす中、鍋から突き出た推しの頭がくるりとこちらを向いた。ヒッ、と喉から声が出た。
「あ~、人いたんだ」と、「推し」は喋った。推しだ。紛れもなく、私の推しの声だ。「ごめんね~、とりあえず引っ張ってもらってもいい? ハマっちゃって抜けないの」
まるでずっと前からこの家にいたかのような呑気な声に、私も意味が分からなくなってきて、結局は推しを鍋から引き抜いた。推しは素っ裸で本当にどこを見ていいか分からなかったので、とりあえずバスタオルを渡した。
「や~、ごめんごめん。ありがと~。もしかして君、僕のファン? そうだよね~、でなきゃこんなヤバいもの鍋でぐつぐつやろうなんて思わないよね」
推しが目の前で、私に向かって喋っている。
「まさか本当にやる人いると思わなくてさ~。あっ、これ君のネイルチップ? かわい~! 僕こういう柄大好き! でも絶対自分ではやんない柄だから新鮮、大理石みたいなやつ! シンプルだけど可愛いよね、君とは美意識が合いそうでよかったよ~」
「あ、あの」
水道管が破裂したかの如く喋り続ける推しを手で制する。
「あの、えっと、これは、どういう……」
「あー、最初はびっくりするよね~。てかめちゃくちゃこの部屋酒臭くない!? 何、ワイン一本あけちゃったの!? 君一人で!? ヤバいよ~アル中になっちゃうよ! よかったね、僕がいて。何かあったら僕が救急車呼んであげるからね。そんで、なんだったっけ、ああ、なんでこういうことになってんのか、だっけ? おっけーおっけー、順を追って説明しようね」
脱線しまくる話をよくよく聞いてみると、どうやらあのソロ曲の通りにすると、本当に推しが出来上がってしまうらしい。出来上がった推しは推し(オリジナル)の意識や記憶を潜在的に持っているらしく、自らが推し(オリジナル)のクローンであり、推し(オリジナル)はアイドル活動をしており、尚且つ先日熱愛報道が出たことも知っているらしい。
「なんかねー、昔あいつ、えっと、君の元々の推し、が読んだ小説に書いてあったんだって。自分のクローンを作る方法みたいなの。自分が出来ているであろう要素を、とにかくたくさんの人に周知してもらえば、それがなんかよく分かんないけど作用して、クローンが出来るって。あいつも半信半疑だったみたいだけど、結局上手くいっちゃってね。で、僕爆誕ってわけ」
「な、なんでまたクローンを作ろうと?」
「うーん、こんなこと言うと引かれるかもしんないけどさぁ。僕らだって一応人間だから。恋愛だってやってみたいし、危ない橋だって渡ってみたいし、アイドル以外の職業も経験したいじゃん? もしいっぱい僕のクローンがいたら、色んな場所で色んな経験をした記憶が全部そのまま入ってくるからお得だと思って。現に今も入ってきてるよ。女の人のヒモになってる記憶がほとんどだけどね。やっぱ元々の性格は一緒だから、割と行きつく先は一緒なのかなぁ。あ、パパになってる記憶も幾つか」
ということは、この世界には私の推しが複数人存在していることになる。意味が分からない。しかもそのうちの一人は、今こうやって普通に私と対話をしている。酒が冷めてきたことも相まって、私は今とんでもない禁忌を犯しているのではないかという気持ちになってくる。
「あ、あと、あの週刊誌に撮られた奴ね。あれもおそらくクローンだよ。君の推してる奴とは別人だから大丈夫。たまたま撮られちゃったんだね。君の推してる奴はその日ツアーのリハやってるからね」
「つ、ツアー……?」
「あ、やべ、言っちゃった。まだ情報解禁前だったっけ? いや~、やっちゃった。でもまあいっか。これは僕と君の秘密にしよ? 聞かなかったことにしてね、子猫ちゃん。ツアー始まったら、そっちの僕のこともよろしくね」
情報量の多さに、私はさらに頭がくらくらしてくるのを感じた。分からない、私の家に推しがいて、でも推しはクローンで、本当の推しは熱愛してなくて、でも推しのクローンはそこら中で恋愛をしていて、記憶は全部共有されていて、じゃあ私の推しの中にもその記憶はあって……?
「ありゃ、脳パンクしちゃった? 大丈夫大丈夫、今日は疲れたんでしょ? とりあえず今日は一緒に寝ちゃおっか。明日考えればいいよ、難しいことは後回し後回し。君が覚えておけばいいのはただ一つ、言ったでしょ? 『みんなの彼氏』だって。僕は誰よりもアイドルだよ。だから……」
今度のツアーもよろしくね。頭の中心が熱くなるのを感じながら、私はふっと眠りに落ちる。後頭部に、推しの、腕の感触を感じる。

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