睡眠・栄養・運動って大事だったんだね(驚)
ニート生活に開き直りを見つけてから、ちょっとだけ「何かをしよう」っていう意欲が湧き始めている気がする。
義務でやってたことを全部やめて、とりあえず最低限のことをするだけの日常に変えた。毎日絶対やらんといけんのは、この日記と掃除、あと自炊。それだけにした。
毎日欠かさず聴いてたラジオもすっかり聴くのをやめて、推しのゲーム実況も追いかけるのをやめて、図書館で本を借りるのもやめて、何か書かないとと思ってまっさらのWordを開くのもやめた。Spotifyも開かず、kindleも開かず、しばらくは人生を捨てたものとして生活することにした。
焦りもまだあるけど、「捨てた」と思ったらちょっとラク。「やらんといけんこと」なんか、削りまくったら割とちょっとしかないわ。本当はやらんといけんことはいっぱいあるけど、命の存続に直接影響するもの以外は「やらんでも生きていける」。
まだ、長時間家じゃない場所にいると不安になったりパニックになったりする。でも、この間から少し散歩に出れるようになった。この間なんか、図書館で本を借りたいっていう気持ちになった。ちょっとずつ回復してきている気がする。やっぱり睡眠と栄養と運動って大事なんやな。当たり前やけど。
睡眠と栄養と運動、これらをおろそかにしている大人ほどカッコよく見えてしまう。心がガキやから。
ほんまはカッコよくもなんともないはずやのに、すごいカッコよく見えてしまう。地獄のミサワタイプの人間やから、「あ~昨日あんま寝てねえわ」とか「飯食う時間無いからサプリで済ますわw」とか「パソコンの前から動いてね~w」とか言いたくなってしまう。なんか、そういうのを経た人間こそ真の大人っていうか。そういうのを経た上で、「やっぱ睡眠大事よ」って言ってる大人がカッコいいっていうか。説得力が増す気がする。体に悪いことやと知りながらも一度経験した人と、肩幅が広い人は発言に説得力が増す。ヤバTのこやまさんかて言うとったもん。
「体の限界」についてもそう。一度ガチでぶっ倒れた経験のある人ほど大人な気がしてしまう。以前それを言うたら、「倒れない方がええんよ」って言われた。でもやっぱ一回己の限界を超えてる人の方が、物事を俯瞰で見れるような気がする。さっきから「気がする」としか言うてへんな。
私は倒れたことないのよ。入院もしたことない。元の体が丈夫なんやと思う。心は激もろよわよわメンタルやけど。
だから、自分の限界がどこなのか分からん。自分では限界なのかもしれないと思って休むけど、自分の限界が他の人の限界と同じかどうかって分からんやんか。私はこれが「休まなければいけないライン」だと思ってるけど、それは他の人から見たら「まだ動けるライン」なのかもしれん。人の体調も全部ステータス画面みたいに右上に出しといてくれたらええのに。