運命のプランシングホース(1)
イタリアの戦闘機パイロット、フランチェスコ・バラッカ。第一次世界大戦中、敵であるドイツ機を34機も撃墜したという空のエース。彼の愛機にはその実績を誇るかのように、打ち落としたドイツ機から拝借したマークがついていた。
それから数年たったあるレース場で。
「あら、おじいさん、あの男の人は速いわねー。」
「あのアルファ乗りかい、、うーん何て男だろ、名前は、、。」
「ほら、おじいさん勇敢よ、彼」
「あー、エンツォ、、、。目が悪くで見えんわい。」
「勇敢でしょ」「勇敢だな、、、。死んだうちの息子みたいにな。」
こうして、フランチェスコ・バラッカの両親は、アルファ・ロメオを操る一人のレーサーに息子の姿を見出し、生前、息子が誇らしくつけていたマークを付けたらどうかと進言する。
この勇敢な男の名前をエンツォ・フェラーリ。後に自動車メーカー、フェラーリを興す。プランシング・ホース(カバリーノ・ランバンテ)と呼ばれた跳ね馬のエンブレムはこの時、彼のものになった。
同じ頃、ドイツで天才と呼ばれた博士がいた。フェルディナント・ポルシェ。ビートル、アウトウニオン(後のアウディ)のGPマシン(既にしてミッドシップ!)、タイガー戦車を作った男。彼が戦後刑務所から出て、自分の会社を創った時、エンブレムはシュトゥットガルトの市章、“あの”プランシングホースだった。
これは一匹の馬が辿った二つの道。ポルシェとフェラーリ。全く性格の違う会社でありながら、同じ時代に覇権を分け合った運命のプランシングホースの物語はここから始まる。
◆運命のプランシングホース(2)へ続く
PS:車好きにはこの話は有名で、異説さまざまなのです。私は“プランシングホース同一説”を信じますね。