見出し画像

旅立ちの日。

2018年7月17日


7:00


起床。

モスクワは曇り。
この都市は急に晴れ、よく曇り、
そしてもっと急に雨が降り、止む。
空気はとても乾燥していて、喉が常にやられる。
だが、人はとても優しい。

そんなこの街と、今日でお別れすることになるのは少し寂しい。だが、感傷にも浸ってられないミスをした。7/18だと思っていた僕の帰国便が、実は1日前の17日だと書類で確認したのは昨日のこと。

危なかった。
最後の最後で、飛行機に乗り遅れるところだった。

今回、どの乗り物にも乗り遅れることなく、無事に旅を終えようとしている。ブラジルでは何度か危ない場面にも遭遇したが、おかげで多くを学んだ気がする。

荷造りをしていると、玄関が開く音がした。
ホストが帰ってきたらしい。

僕は、占い師を生業にするキルギスタン人の部屋に1ヶ月下宿させてもらっていた。モスクワの中心地から40分ほどかかる郊外だが、破格の月30,000円という安さで交渉がまとまったので、とても助かっていた。

この家のホスト、ディヤールは完全な夜型人間だった。
彼自身が経営する「占いBAR」が夜営業のため、朝どころか、昼を過ぎてもリビングのソファーで眠りっぱなし。どんな物音にも反応することなく寝続けている、というのがいつものの風景だった。なので、珍しくこの時間に彼がいないことを不思議には思ったが、彼も忙しい人だ。朝に用事くらいあるだろう、と気にせずにいた。

すると、リビングで大声がする。
「YU――KI―― ! ! !」と、
僕の名前を叫んでいる。

何事かと思ってリビングに続くドアを開けようとしたら、彼が先にドアを開けて僕の借りていた部屋に入ってきた。
ゲイ疑惑のある彼と顔が近づくときは、申し訳ないと思いつつ、いつも少しだけ緊張してしまう。

彼は僕のベッドに座り込んで、頭を抱えた。
「どうしたの?」
英語で訪ねた。
彼は英語が少しだけ話せる。
「My Phone, and card, Bomb! all nothing…」
「マジ!?」
思わず日本語が出た。
彼は5日前くらいに、「乗っていた車が爆発した!」
…と言って、青ざめた顔して夜中3時に帰ってきたからだ。

「Bomb!って、また爆発したの!?」
この英語は難しかったようで、スルーされた。
すると、彼が状況を説明しだした。
「タクシー乗って、オカアサン先に降りて、
 僕寝て、起きて、ケイタイとギンコーカード……
 ナッシング!!」

おいおいマジか。
朝まで母親と飲み明かして、
タクシーで帰る際にパクられるって…
「あのケイタイ、オカアサンが買ってくれた…
 Yuki、オカアサンに言わないで」

いや、言わんけども。
それより銀行のカードはやばいでしょ。
「カバンとか持ってなかったの?」
「オカアサンのカバンある」
「そのカバンもう一回よく見た方がいいよ」
「今、タクシー、下いる。お金ナイ」

もー。

財布に入ってた、200ルーブル札を差し出した。W杯用に新しく作られた紙幣で、こちらでも見るのは珍しく、二千円札のような扱いを受けていたため、お土産に持って帰ろうとしていた大事な1枚だった。

「これで足りる?いくら足らないの?」
「20ルーブル」

1ルーブルは1.7円くらいなので、
僕はいつも2倍計算していた。
それでも40円。
無いわけないやろ……
もう、しょうがない。
持ってけドロボー。
「早く払ってきて、ちゃんとカバン探そう」
「Arigato――! Yu―――Ki――― ! ! !」
またハグを迫られ、少し緊張しながらハグで返す。


8:40


彼が下に行っている間、パッキングを進めた。

僕は、こちらで仲良くなったカメラマンのカズさんと市場に買い物へ行く約束をしていた。9時か10時にはカズさんのいるマンションへ着きたかったが、この調子だと昼になりそうな気がする。カズさんにFacebookのメッセンジャーで連絡を入れた。そのメッセージを送信しようとしているときに、ディヤールが再び帰ってきた。

「お釣りは?」
「No」

待て待て、ノーやあるかい(笑)
20ルーブル必要なディヤールくんに、
僕は200ルーブル渡しました。
さてお釣りはいくらでしょう。
答えはNo!バカ!!
180ルーブルあったら、ビール2本買えるから!!

ただ、いろいろ時間がなかったので、
敢えてNOの真相には触れなかった。

彼にもう一度、カバンの中身を探させたら、
銀行のカードは出てきた。

あるんかい。

ただ、携帯電話はなかった。

無いんかい……

すると、ディヤールが泣き出してしまった。
「ボク、なんでボクばっかり……
 クルマBomb!携帯Bomb!
 で、また携帯Soooon……」
彼は先日の車が爆発した事故の際に、
中に入っていた携帯が巻き込まれ、紛失していた。
なので、新しい携帯を買った4日後に、
さらにその携帯電話を紛失したことになる。
「2週間でケイタイ3つBomb!
 オーマイガー。ボクばっかり……」
3つ目を2週間前になくしていた新事実には驚いたが、
とりあえず慰めた。

占い師も、自分の未来だけは占えない。
なんという皮肉か。

「ただ、今回はケイタイBomb!じゃないんやろ?
 携帯電話の追跡機能とかないの?」
「あーーーー!」
彼は急に泣き止んだかと思ったら、
パソコンを開いて何やら打ち始めた。

ディヤールの長所は、この切り替えの早さにある。
先日車が爆発した時も、最終的には何故か
僕の持ってきたロシア代表のユニフォームを彼が着て
撮影会をすることになったくらいだ。
夜中の3時に。

PCの画面を覗き込んだら、Googleを開いていた。
どうやら、Androidの携帯を探す機能が
Googleのサイト上にあるらしい。
しばらく操作すると、携帯の場所が特定された。
ここから少し北に行ったモスクワの郊外で、
追跡痕が止まっている。
おそらくタクシーがそこに止まっているのだろう。
「よかった!あるよ!
 そこに行けば多分携帯は取り戻せるよ」
「ヤッター!」
二人で喜んだ。

すると、彼が別のサイトを開こうと、
またキーボードを打ち始めた。
Instagramのサイトだった。

「昨日。会った、ユウメイジン」

どうやらロシアの数少ないチャンネルのなかでも
最も視聴者のいる「ロシア 1」という国営テレビの
著名なMCと一緒の席で飲んだそうだ。
「あと、クロアチア、キャプテン!」

え!!なに!?
モドリッチに会ったの!?

「彼、すっごくやさしくて……とってもハンサム!」
なんて羨ましいやつ……

聞けば、高級レストランに母親と行き、朝までウォッカやらビールやらウィスキーを飲みまくり、その宴の席にモドリッチ含めた有名人が多数参加していたらしい。言いそびれていたが、彼はInstagramで「著名人」扱いになるちょっとした有名人だった。モスクワに住むキルギスタン人で、彼を知らない人がいないくらいだと、街であったキルギスタン人から聞いたことがあった。

いや待て、携帯を探す話はどこにいった。

モドリッチと会話したエピソードと、
レストランを出たときにカメラに囲まれて
スター気分を味わったエピソードが続く中、
僕は荷造りを再開した。

もう、大丈夫そうだ。
ディヤールの気性は少し激しく上下する。
彼が元気そうな今のうちに準備を進めた。

荷物を全て大きなリュックに詰め込んで、
着替えも済ませてリビングに戻ると、
彼はまた落ち込んでいた。

「悪いことがあったあとには、
 きっと良いことがある。常に前向きにいこう」

彼を励ますために口から出たこの言葉は、いつも自分に言い聞かせているもので、中学3年生のとき、担任だった先生に卒業式後の別れ際にもらった言葉だった。

「人生万事塞翁が馬」

僕はこの、「良いことも悪いこともある。人生は一喜一憂するものではない」という意味を込めた言葉をモットーにして生きてきた。どちらかといえば消極的でマイナス思考な性格を、なんとか押し込んでここまでこれた。それもこれも全て、この言葉のおかげだと思っている。そして、彼にもそうあってほしいと思えた。

ディヤールは泣き止んだ。

「ボク、とてもうれしい。君に会えた」
「こちらこそ楽しかったよ。
 親切にしてくれて本当にありがとう」
緊張感のあるハグが3回も行われた。
「もう行くの?」と聞いてきたディヤールに、
自然と「ダ」とロシア語の「はい」が出た。
30日もこの国にいたんだな、と改めて思った。

「そしたら、ボク、ビール買いにいく。
 一緒にいこう」

待て待て、ビール買う金はあるんかい。

もうツッコンでる時間もなかったので、
再開を約束し、最後となるハグをし、ディヤールに別れを告げて駅へ向かった。

よろしければ、是非この見習い解説者をサポートくださいませ。