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編み物作家になった妻
▼この話の続き
憧れていた編み物の先生から自作のバッグを褒められ、先生のお店で制作キット(編み図+毛糸のセット)を売ることになった妻。あれから編み図を作ったり毛糸を海外から仕入れたりして、それが今月ようやく販売開始になった。
先生が気に入ったとはいえはたして本当に売れるのか……と妻とドキドキしていたが、なんと妻のバッグの制作キットはすでにけっこうな数が売れたのだそう。何色かは仕入れが追いつかずに欠品しているらしい。すごい。他と比べてどうとか知らないがとにかくすごいぞ妻。
もちろんそれは元々お店のファンが多くいるからに違いないのだけど、それでも妻がデザインしたバッグに対してこれだけの人がお金を払ってくれたということには違いない。Instagramで知らない人達が妻のバッグを作って投稿してくれているのを見て、私もじわっと実感がわいた。編み物作家になったんだなあ、妻。
最近そういえば、一緒にイオンモールの中とかを歩いていると妻はしょっちゅう消える。あれ?と思って振り返ると店頭の商品をじっと見て「これは編めるな」とか言ったり、すれ違った人の持っていたバッグが気になって追いかけてジロジロ見たりしている。動き方が完全に万引きGメンのそれである。そのまま「ちょっとそのバッグよく見せてくださる?」とか言いかねない。毎回消えた妻を探すこちらも大変なのだが、それだけいつもアンテナを張っているということだろう。
妻が編み物を仕事にしてなんとなく変化を感じるところがある。以前会社勤めだった頃、妻は自分にも人にも厳しい性格をしているので、出社すると「一生懸命がんばる」しか選択肢を持っていなかった。そうするとめちゃくちゃに疲れて帰宅し、家で職場の愚痴を吐き死んだように眠る。セミの一生みたいな生き方を毎日繰り返しているようだった。
その点、編み物作家の仕事は基本的に自己責任の世界である。要領の悪い人にイライラすることもなければ、会社を休む罪悪感もない。それでいて(以前より多くはないけど)お金をもらえているので家計に対する罪悪感も薄くなる。妻にとってはフリーランスという働き方がとても合っているような気がする。でも家で「この毛糸は硬すぎたな…」とかずーっとブツブツミンミン言ってるので、常夏のセミになっただけのような気がしなくもないが。
妻はいつか本を出版したいと言う。「編み物本を作るの?」「うん。でも編み図だけだと面白くないからちょっとした文章も入れたいんだよね」「へえ。エッセイみたいなやつ?おもしろそうだね」「だからあなたがエッセイのところは書いてよ」「ええええ」
いつか編み物本にエッセイを書くみたいです、私。
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