スタートアップに新卒で入社して7年が経ったがまだ全然楽しいし苦しいしですごい
2017年12月に大学院を退学し、当時1期目のHERPというスタートアップにソフトウェアエンジニアとして入社した。当時はだいたい3〜4年働いて転職するのかな〜と考えていたナメた若者だったが、気付いたらもう7年も働いている。
1期目のスタートアップに新卒入社した事例は(自分で言うのもなんだが)珍しいと思うので、現時点での自分や組織の振り返りや思いを記してみる。あくまで僕視点での振り返りであり会社公式のものではない。また、そもそもスタートアップは千差万別だし運の要素もかなり多いので生存バイアスも多分に含まれていて再現性は多分ない。それでも、スタートアップという生き方の楽しさと苦しさには何らか共通するところはあると思うので、それを記録しておきたい。
入社してから何をしてきたのか
入社にいたるまでの思いの変遷については、最近会社のインタビューを受けた際に色々恥ずかしいことを十分語っているので割愛する。
入社からプロダクトリリースまで
入社した時点での会社のメンバー数は8人で、そのうち半数が新卒という狂ったメンバー構成の会社だった。経営者も20代で、今の僕より若いくらいだった。するとどうなるかというと、ほとんど全ての意思決定やコミュニケーションが未熟になる。僕自身、ユーザーやチームのことよりも自分の思想を優先した意思決定もあったし、議論の体を為していないただの喧嘩もたくさんしていたように思う。CEOが語る戦略のロジックの甘さをただひたすら詰める僕と、僕の未熟なコミュニケーションスタイルに対してある種の逆ギレをするCEO。これはただの喧嘩であり、今思うと何も生成的な対話になっていなかった。
それでも、全員が「自分たちはもっとやれるはずなのに社会に影響を与えるプロダクトを何も出せていないのはマズい」という焦燥感を抱えて一体となっている感覚は強かった。だから休日や給与が少なかろうがハイになって働けていたし、プログラミングが好きでソフトウェアエンジニアとして入社したはずなのにプロジェクトマネージャーを名乗ってひたすら交通整理をしているのもすごく楽しかった。
機能スコープを削りに削りまくり、ようやく一つ目のプロダクトをリリースできたときの達成感と、プロダクトへの自信のなさからくる不安感は今でも忘れられない。
プロダクトリリース後のボトムアップな改善とユーザー起点の転機
MVPの名の下に要件を削りに削ったことでようやくプロダクトをリリースできたものの、ユーザーさんからの評価は当然ひどいものだった。先行プロダクトに比べて当たり前品質の機能は足りないしバグもたくさんあるし障害も頻発するし、無料とはいえよく使っていただけたなと思う。
とはいえ、魅力品質としていた機能を磨き込むライン、新機能をバリバリ作るライン、インターン生を中心として使い勝手を改善したりバグを改修したりするライン、とチームの練度が上がって開発スピードが高まった。僕は主にインターン生を率いていたが、時間のかかる大きな新機能開発の傍らインターンチームが毎週たくさんの改善をリリースしてくれた結果、顧客満足度が急激に改善したのはかなり嬉しかった。一方でユーザーさんの満足度には開発スピードへの期待感も込みなのはわかっていたし、技術的負債を借りながらスピードを担保している自覚もあったので、やはり不安も拭えなかった。
そんなこんなで魅力品質と開発スピードとを武器にしていたものの、競合サービスが模倣してきたり技術的負債によって開発スピードが下がってきたりして、武器だと思っていたものはどんどん鈍になってきた。
ところが、ここで思いもよらぬ武器を手にすることになる。
自信を失いつつあるプロダクトをそれでも使ってくださっているユーザーさんが何に価値を感じてくれているかのヒアリングを重ねた結果わかったのは、僕らが魅力品質だと思っていた「媒体連携による採用業務の自動化」以上に、「Slack連携によって採用担当以外のメンバーが積極的に採用に関わってくれるという文化の変化」に価値があることだった。そこでプロダクトのコンセプトをこちらに大きく方針転換し、結果として急激に営業成績が改善し始めた(参考)。これは僕にとって2つの意味で衝撃だった。
ひとつは、プロダクト自体の機能が変わっていなくても、そのプロダクトの売り方や見せ方を変えるだけでユーザーの捉え方や印象が大きく変わるし売れ方も変わるということである。今思えば当たり前のことではあるが、やはり当時はまだただ作る者としての意識が強く、売る側/買う側/使う側の考えを全然理解できていないんだと反省した。
もうひとつは、ユーザーから学べることの大きさである。もともとユーザーの意見を反映するのを大事にしていた会社ではあったものの、自分たちの強みについてまでユーザーから学べるとは思っていなかった。
このあたりのことから、ユーザーを理解する重要性を改めて理解した。だからこそカスタマーサクセスチームと協力してヘルススコア設計やその可視化を進めたり、ユーザー会やユーザーヒアリングに出させてもらったり、なんならユーザーさんと飲みに行ったりするようになった。この辺の動きをして以前に比べるとだいぶ社会性も身についたし、今の会社の Values にも反映されている「ユーザー価値ドリブン」の重要性が身に沁みたし、良い経験だったと思う。
暗黒時代
売り上げが上がっていく一方で、売り方やコンセプトは変えたもののプロダクトの中身やソースコード/設計の思想は変わっていないことへの不安もあった。技術的負債とは「開発と共に得られていく知識や理解と目の前のシステムとの乖離が引き起こす生産性低下のこと」との話もあるが、当時は明らかに学習したこととコードベースの乖離が大きくなっていた。
それでもユーザーが増えて新機能の開発は求められるし、新規のプロダクト開発に人員は割かないといけないし、コロナ禍に突入して急にコミュニケーションの質を変えなければいけないしで、技術的負債に目をつぶりながらどうにか開発を続けるしかなかった。
技術的負債がある中でもどうにか生き延びるためにいろいろな試行錯誤をした。技術的な取り組みの例を挙げると、別コンテキストと思われる新機能の開発を切り出すためにマイクロサービスアーキテクチャを採用したり、コードベースがキレイに見えるように関数型プログラミング向きのフレームワークを取り入れたり、一部ユーザーから提供したり少しずつ改善できるように feature toggle を取り入れたり、LeSSのようなフレームワークで開発フローを整えたり、とまあかなり色々やった。現在でもやって良かったと思うものもあるが、失敗だったと思う意思決定もたくさんある。今思うと技術的負債を解消できないのでマシな方向にするために新たな技術的負債を生み出す負のサイクルに入っていた。
この当時のことを思い返すと今でも苦しいし、現在でも大きな技術的負債として他のメンバーが解消に取り組んでくれているのを見ると大変申し訳ない気持ちになる。それでもどうしても、僕らの当時のキャパシティと未来予測の中では最善を尽くしたと思いたいし、この過程で身につけた知識や経験は今も活かされているし、とにかく事業をどうにか伸ばして会社を潰さずに済んだので許してほしい気持ちにもなる。もちろんもっと良いやり方もあっただろうが、どうしても懺悔と自己正当化のどちらも両立して僕の中にある。
正直この時期が一番苦しく、ちょうど3~4年目くらいだったので、会社を辞めて次のチャレンジをした方が楽しいのではないかという思いにも何度か駆られた。しかし、自分が面接して自分が採用した優秀な人たちに力を借りている上に、苦しい現状は自分が作ったものであるとの意識もあったことからどうにか辞めずに済んだ。今思うとポジティブな責任感というよりも「逃げるわけにはいかない」のようなネガティブな強迫観念で働き続けていたかもしれない。
頭打ち疑惑とデータ基盤
苦しいながらもどうにか成長を続けた結果として、また転機が訪れた。
プロダクトや事業の限界が見えたのだ。
もちろん当時まだまだ機能は足りなかったし今もまだまだ足りていないが、このまま開発を続けたら今の事業だけでは頭打ちになることが容易に想像できた。だから会社として新規事業や新たなキャパシティの模索を始めることになったし、僕もいくつか関わらせてもらった。
僕個人としては、主力サービスにおいてデータ可視化関連機能が弱いこと、会社全体としてデータを元にした意思決定が弱いことに危機感を覚えたので、改めてデータ基盤を整えさせてもらうことになった。そこで「データチーム」なるものを立ち上げて、全く何も知らないなかで BigQuery の構築や ETL/ELT の導入、BI基盤刷新、サービスへのリバースETLなどいろいろ試行錯誤しながら進めた。結果的にデータ可視化機能をリリースできたり社内のデータ活用がそれまでより活発かつ容易になったりして良かったと思う。事業的にも、データ活用を主に据えた新規事業やクロスセル商材の探索につながったし、弱みだったデータ活用機能がむしろ強みになっているとのお声も最近は頂けたりしているので、長期に効くエンジニアリングの意思決定を初めて上手く回せたかなと感じる。
一方でやはり知識不足から来る技術的負債も抱えてしまっており、これはデータチームのリードを引き継いで解消してもらったりしている。やはり申し訳ない気持ちも強いが、むしろ自分は「攻撃型」の人間として最速で学習して事業成果を早く出し、「防御型」の人に引き継いで足腰を固めてもらうような分担をした方が、タイプの異なる強みを活かせて良いのかもなと開き直ってすらいる。
今とこれから
そんなこんなで会社としても個人としても目の前の課題に取り組みながら成長してきた。頭打ちが見えてから進めてきた新規事業の模索も芽が出始めて、着実に成果につながってきている。単一事業・単一プロダクトだったところから、今は3事業4プロダクトと大きな変化を遂げている。
第2創業期と言っても良いだろう。
僕らの作戦としては、それぞれの事業を個別に伸ばすのではなく、事業同士をつないでそれぞれの価値やインパクトの相乗効果を積み上げていくのを重要視している。
というのも「採用を変え、日本を強く」というHERPのミッションを達成するためには、採用企業向けに事業を提供して彼らの行動を変えれば済むのではなく、採用にまつわる主要プレイヤーである求職者や人材紹介会社の行動も変革させていかねばらないだと考えているからだ。
最初は「採用担当を単純作業から解放したい」という代表の思いから作られた会社・プロダクトが、ユーザーの声によって「採用担当の先にいる現場メンバーの行動を変えたい」と広がり、さらにその先にいる求職者・人材紹介会社にまで本格的にリーチを広げられた。これには純粋にワクワクしている。しかも創業期と違って1からリーチしていくのではないので、HERPのこれまでの営みによって培った採用企業との信頼関係や採用のドメイン知識、データなどのアセットを活かせるのは、報われた感があって嬉しい。
そういう複雑な状況に変わりつつある中で、僕は「HR Platformチーム」という得体の知れないチームのマネージャーをしている。
事業同士をつないで価値を出すためにどのような基盤が必要になるのか考えて作ったり、マッチング領域で事業成果を出すためにどのような技術が必要になるのか考えて導入したりと、かなり手広く色々やるチームである。かなりざっくり言うと、いわゆる「CTO室」から事業側面を切り出して特化したチームにあたると思う。
このチームを率いるのは自分にとってかなりストレッチな挑戦になっている。「攻撃型」として事業成果に最速でつながる眼前のスイートスポットを模索する一方で、中長期目線で事業全体に寄与する取り組みも進めなければならない。また、エンジニアリングと採用のドメイン知識にとどまらず、セキュリティや個人情報保護など考慮すべき品質特性による制約が増えてきている。技術的な幅としても、情報検索・推薦システムなどからはじまりデータサイエンスやエンタープライズアーキテクチャなど、自分が全く知らない領域についても知識を身につける必要が生じている。
何より、真の「経営目線」が求められていて、事業全体の中長期戦略を深く理解することが求められるのが想像以上に難しい。最近社内では「戦略筋トレ塾」という組織戦略論の勉強会が開かれていて、それに参加しながらどうにかキャッチアップしている。また、最初は喧嘩していた代表とも今では何でも相談し合える関係になったので、事業や技術についてお互いの考えていることを共有しやすいのも助かっている。
自社のことしか知らない自分が、中長期的なアーキテクチャリングに本当に向いてるんだろうかという不安も正直なところ拭えていない。だが、HERPの取り組んできた歴史を長く知っているからこそ理解/想像できる事業の方向性や課題感もあると信じて、日々学びながらどうにか進めているし、その学習の過程や成果につながった瞬間はやはり楽しい。
事業それ自体への貢献と同時に、いわゆる「マネージャー」という役割も負いはじめた。「組織に成果を出させる」というメタなレイヤーの貢献として、ピープルマネジメントなどについても期待されているのも新たなチャレンジだと感じる。
自分で手を動かすことよりも、チームとして成果を出すことに意識を向けて中長期的なチーム成果を向上させることを考えるのは、マインドセットの転換が必要になった。個人的にはドラッカーの「組織の目標を専門家の用語に翻訳してやり、逆に専門家のアウトプットをその顧客の言葉に翻訳してやることもマネジャーの仕事である。」という言葉を信じて、翻訳に注力している。
組織全体として優秀なメンバーが多いので、「僕が翻訳しなくても成果が上がっていたのではないか?」と悩むこともよくあるが、とはいえチームメンバーの成長を感じたり、自分の視座が上がったりしたときは楽しい。
このような発想の転換が求められているのは、もちろん僕だけに限らない。
例えば主力事業の HERP Hire は単なる ATS であることを超えて事業のコアとして他事業とのつながりを作っていくことが求められるし、本格的なマッチング成果を生み出す新規事業側では SaaS にとどまらないグロースハック的な考え方も必要になってきている。
そういった事業への取り組みと並行して、大きな技術的負債を解消して中長期に期する取り組みを進められるようになっている開発チームを心強く思うし、やはりまだまだやるべきことは多いなと感じる。
何が楽しく何が苦しいのか
こうして振り返ってみると、7年間ずっと楽しさと苦しさを感じてきたなと思う。
結局のところスタートアップというのは、事業課題を小さな学習を通じて解決するのを積み重ねて、最終的に大きな社会課題を解決する取り組みなんだと思う。あり方として課題を感じ取って解決することが求められているので、課題感から解放されるという瞬間がないことが宿命づけられているのが、苦しさの根源なのかもしれない。
また、『エンジニアリング組織論への招待』によると、エンジニアリングとは「不確実性の高い状態から、不確実性の低い状態に効率よく移していく過程に行うすべて」とされているし、『ソフトウェアアーキテクチャの基礎』によると、アーキテクトは「わかっていないとわかっていないこと」「わかっていないとわかっていること」を減らし技術の幅を広げるべきであるという話もある。ここでも、事業に貢献するエンジニアリングやアーキテクチャリングを行うべきスタートアップのソフトウェアエンジニアは、自分たちがわかっていないことを真摯に見つめ学んでいくことが宿命づけられているのかなと思う。
僕自身も、課題の解決のために自分が今できていないことに苛まれ、どうにかあがいて成長し、解決につなげるというのを積み重ねてきたように思う。
とはいえ学習すること自体も、解決することによる満足感も、どちらもとても楽しい。しかもスキルアップして視座が上がるごとに自分・組織に足りないことがどんどん見えてきて、学習したい範囲は広がる一方である。このどんどん大きくなる課題感を組織の成長と共に感じられたことは、スタートアップに新卒で入社して得られた最大の成長機会だったなと思う。
ところでHERPは最近になって新卒採用に改めて本格的に取り組み始めている。自分が新卒からスタートアップで経験を積めたからこそ、次は自分もそんな機会をフレッシュなメンバーに提供したいと考えていて、僕も新卒採用にはいろいろと関わらせてもらっている。
HERPのビジョンには「すべての採用における意思決定を、その次の挑戦を生み出すものに。」というものがあるが本当にその通りで、採用する側としても挑戦機会を提供し続けたい。
これから事業の複雑性がどんどん増していくしさらなるチャレンジが求められる第2創業期だからこそ、多くの機会を提供できると思っている。そのための制度も少しずつではあるが整ってきた。昔みたいに夢を報酬とするわけでなく、福利厚生や給与もかなり良くなってきた。
「もうそれなりに大きい会社じゃん」と思うかもしれないが全然そんなことはない。ここからまた10倍100倍と会社が大きくなっていく上では相対的にほとんど創業時のメンバーみたいなものだし、今このフェーズだからこその面白さは確実にあると思う。
苦しいことも多いが、課題を解決しながら学習しスキルを伸ばしていきたいと思える人には楽しい環境だと思う。なので、共に成長したい人にはぜひ応募してほしい。
もちろん新卒メンバーだけでなく中途メンバーにも協力して解決してほしい課題はたくさんあるし、そういう人にこそ提供できる機会も数多いので、転職を検討しているなら弊社への応募もぜひ検討してみてほしい。