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人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である

これはかの有名なチャーリーチャップリンの名言である。私がこの言葉を知ったのは去年、JOKERを映画館で見た時である。今回はいつもと嗜好を変えて少々真面目な記事を書こうと思う。

私は今日、正式に留年生となった。大学の教務課に行ったところ2年次の第二言語の単位が足りないためである。足りないのは何も単位だけではない。頭の良さ、注意力、集中力、ルックス、髪の量、脂肪は有り余る程だ。唯一JOKERよりも優れている所があるとするならばユーモアのセンス位だろうか。

「......聞いていますか?第二言語の単位が足りていないので卒業にはなりませんよ!

何処かで人の声が聞こえた。私はどうやらあまりのショックに心の中に閉じこもってしまったらしい。これだけ不幸なことが起きるのに鬱病になっていないことが不思議である。

「あぁ.....。はい.....。大丈夫ですよ」と生きているのか、死んでいるのかわからない様な返事をした。むしろ死んでいたほうが良いのではと思いながら、ふらふらと右往左往し、東京喰種のヤモリが言っていた

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「この世のすべての不利益は当人の能力不足」というセリフが頭の中をグルグルと這い廻っていた。喰種になれたらどんなに幸せなことだろう。デメリットとしてはミスタードーナッツが食べられなくなるくらいのことであろうか。そんなことを考えながら後輩やお世話になった先生と偶然会い、会話をした。しかし何を話したのかまるで記憶にない。あまりのショックで一時的に記憶が飛ぶことは人間が自分の脳味噌を守るための防衛本能なのだと思う。唯一覚えているのは、「人と話をしていないと自殺したくなってしまう。」というものである。息が吸えなくて酸欠の金魚の様に口をパクパクしている。、心臓はドキ....ドキと不規則に鼓動し、泣きたくても泣けない虚無に陥り、「ぁぁぁぁぁぁぁああああああああああ!!!!!!!!」と叫んでしまいそうな自分を押し殺して最悪のPDCAサイクルが帰宅の電車内で行われていた。帰宅し、両親に呆れられ、姉に笑われ、こっ酷く叱られ、話をしながら心のダムが崩れてボロボロと泣いた。泣きながら笑った。

人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である。

私、いや、僕の人生はまさにこのセリフの一言で集約されるだろう。僕が本当に心の底から幸せで笑う時は老衰で死ぬ間際だ。100日後に死ぬワニはまだ死んでいない、しかし100日で死ねるとはなんと幸せなことだろうか。できれば変わってあげたいくらいだ。長旅で歩き疲れ、留年の知らせを聞いて身も心も既に、ずっと前から、この両まぶたに深くドス黒いクマが刻み込まれてからはや12年、ボロ雑巾の様にボロボロであった。カフェインと糖分の取りすぎだ。今日はもう寝てしまおう。何もかも限界である。僕には心の休息が必要だ。赤子の様に眠ってしまおう。明日の朝から就活を始めればいい。今日まではよく頑張ったと自分を褒めてやろう。それでは皆さん

おやすみなさい

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