Mr.Children新曲の『himawari』が最高だという話
桜井和寿さんは天才だと思う。
当たり前にそう思うし、私のほかにも同じ考えの人はごまんといるだろうが、この曲を聴いたときは改めてそう思い知った。
『himawari』を初めて聴いたのは先月行ったライブで、非公開の新曲として注釈付き指定席に座っていたときのこと。
(恥ずかしながらこの曲が主題歌となっている映画原作の『君の膵臓をたべたい』はまだ読んだことがなく、「膵臓に病気かなにかを持った女の子の話なのかしら」くらいの憶測しかない。なので、今後の妄言は原作小説様や映画の内容はまったく考慮しないものと考えてくださってかまわない。)
位置関係的にスクリーンがよく見えず、歌詞を聴き逃すまいと集中していたところに聞こえたフレーズが、こうだ。
「やさしさの死に化粧で 笑ってるように見せてる」
もう、この時点でお手上げである。
やさしさの死に化粧。やさしさの死に化粧。
どこに目をつけて生きていたらこんな言葉が浮かぶのか。こんな、静かで穏やかでゆっくりで、なのにもうどう足掻いても取り返しようのない断絶。吐息のs音に包み込まれた優しい音で、冒頭からこんな爆弾を落とさないでほしい。
次の歌詞に「覚悟」なんて単語が続くから、「やさしさの死に化粧」のどうしようもなさは更にそのどうしようもなさを増す。
やめてくれ。あんまりだ。「君」は自分の死に顔に、自分で美しく紅を引ける人なのだ。「君」自身がちゃんと受け入れていて、どうしようもなく刻々と迫っている別れの時間に、「僕」の心だけがついていけずにいる。だから、たぶんなにもかもに現実感がないのだ。「角砂糖」のような思い出にも、「君」がいなくなったあとで一人で生きる世界も、「君」自身の面影も。
ライブで聞いていたとき。サビの最後の「そんな君に僕は」のあと、私はとっさに「愛」とかそういうフレーズが来ることを予測した。しかし、実際の歌詞は「恋してた」だった。
参った。降参だ。完全に私の負けだ。
別に何と勝負をしていたわけでもないが、「やられた」という強烈な感覚が胸の内を貫いたのを覚えている。
だって、恋なのだ。「僕」の持っていた感情は恋だったのだ。
偉そうに語れるほどその手の経験が豊富なわけじゃないが、これはたぶん「愛だ恋だ」「色恋沙汰」の恋じゃなくて、「恋い慕う」「恋い焦がれる」のほうの恋だと思う。愛よりもっとこう、無邪気でプラトニックで信仰的で、残酷な感じの。
私はミュージカルを見るが、最近知ったお気に入りの韓国ミュージカル『フランケンシュタイン』の一幕をこのとき思い出した。
メインナンバーのひとつ『君の夢の中で』は、友人ビクターの罪を自ら引き受けて処刑台に上ることとなったアンリの曲だ。死にたがりの彼に生きる希望と輝かしい夢を与えたビクターに捧げる歌詞を、訳詞の森雪之丞さんは「夢見るその瞳に僕は恋をした」と訳した。ちなみにビクターもアンリも男性である。でも、いやらしい意味じゃなく、しっくりくる。これしかないと思う。
その「恋」なんじゃないかと思う。
あんな、懺悔するみたいに「恋」をうたって、その奥にあった感情は最後まで口にできずに終わるのだ。
口に出せばきっと壊れてしまうから、黙って抱えている。そしてたぶん「僕」はそれを死ぬまで抱えて、幻みたいにきれいな思い出を刻みつけて、醜く生きていくのだろう。純粋ゆえに重たくて、たまらなく苦しい「恋」だ。でも、だからこそどうしようもないほど、悲しいほど尊くて美しい。
本当にこんなことを私が言うのもおこがましいことこの上ないのだが、できれば皆さんも視聴だけでなくCDを買って、通しで聞いていただきたい。最早、これは一枚で一つの作品であり世界だ。『メインストリートへ行こう』に『PIANO MAN』など、ベストアルバムばかり聴いていた私は知らなかった、隠れた名曲も収録されている。
ある意味とってもMr.Childrenらしい、ごきげんで憂鬱で、シンプルで難解で、不器用でおしゃれな魅力たっぷりの世界がそこには広がっているだろう。