ひな祭りの今日、女性にとっての「美」について考えてみた。
世の中にはたくさんの美しい女性で溢れている。
今までの私は、「外見の美」がとりわけ大事だと思っていた。
自我が芽生えた小学生くらいからは美人な人に強い憧れを抱いていたし、世の中のカーストでは美人が強者であると信じて疑わなかったし、私自身見た目に対する強いコンプレックスを抱いていた気がする。
ただ最近、外見の「美」というものはただの付属品であると思うようになってきた。
とはいえやはりこの世の中、ビジュアルは何においても大事であることは否定できない。
テレビや雑誌で表舞台に立っている人はいわゆる外見が秀でている人が多いし、広告やSNSといった人間の見た目ではない部分に関してもインスタ映えやデザインの綺麗さといった外見は、最も重要視されていると感じる今日この頃だ。
そんな世の中だからこそ、大半の女性はそりゃ見た目の美を強く意識し、メイク、ダイエット、整形などの「外見」を美しくすることに注力してしまう。そして私こそその1人であったし、今も半ば無意識的に外見に関する評価や情報には反応してしまう。
「痩せなければだめだ、可愛くなければだめだ」といったネガティブな感情と共に。
「外見」を磨き洗練するために努力することはとても素敵なことであると思う。そして私自身もやはり綺麗になりたいし、可愛くなりたいと強く願っている。
しかしあくまでも、世の中の基準の中での「外見」の美を測るのではなく、自分が思う「外見」の美を目標にしてほしいと思うし、私自身にも強く言い聞かせたい。
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そして冒頭にも書いた「外見の美は付属品である」といった話だが、結局は「内面」の美しさがその人自身の「美しさ」を決める大きな要素である、と20代中盤にさしかかる23歳の私は強く思う機会が増えた。
例えば、言葉遣い、部屋の清潔さ、他人とのコミュニケーションの心地よさ、気遣い、思いやり、恥らいを大切にしているか、といった部分は「美しい女性」としてとても大事な部分である気がする。
今の時代、性特有の美しさを定義はしたくないが、やはり女性としてのしなやかな「美しさ」を私は大事にしていきたいなと強く思う。
どれだけ外見を綺麗に着飾ったり、美しい体型・顔であっても、やはり立ち振る舞いやマインドが綺麗でなければ全然美しくないし、とても魅力的ではない。
そして、私が魅力を感じる方は内面がとても美しい。
私は外見も美しくありたいけど、内面も美しいしなやかでヘルシーな女性になりたい。そのために日々を大切に、丁寧に生きたい。
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3月3日女の子の健やかな成長や幸せを祈って、お祝いをするひな祭りの今日。自分にとっての「美」の基準について最近考えが少し変わってきた気がするので、思考を整理してみました。
全ての女性に、幸あれ。