かぞく
かぞく
うるさいなぁ
めんどうくさいなぁ
愛おしいなぁ
会いたいなぁ
話したいなぁ
でもやっぱり
めんどうくさいなぁ
離れたくても離れられず
けんかをしても別れられない
見捨てるわけにもいかず
見捨てられても困る
ひとつ屋根のした
寄せ合って生きる
家族のふしぎ
2025年も幕を開けた。
年末年始は夫の家族も鎌倉に来て、鶴田家と共にとても賑やかなお正月となった。
日本のお正月は家族と過ごすのが常となっているが、我が家もそれにもれず毎年家族と過ごしている。
父も母も歳をとっているので、当たり前だが正月の準備を頼りきるわけにもいかず、やることは以前よりも少しずつ増えてきている。以前は母や義母が色々とやってくれていたので、気づいていなかったが、家族が集まる家の女性は本当に大変だ。
今年は鶴田家も義父も義弟2人とその家族も一緒だったので、ずーーっと料理をしているお正月であった。疲れ果てたけど、姪っ子たちも勢揃いで、ワイワイガヤガヤと幸せな日々でもあった。
ところで「家族」ってなんだろう?と時々思う。
小さいころ、リビングルームの隣にあった自分の部屋で勉強をしている時、リビングルームから聞こえてくる家族の話声を聞きながら「どうしてこの人が父で、この人が母で、この人が弟なんだろう」と思っていた。そして「どうして、この4人が1グループとしてこの家に住んでいるのだろう」と。つくづく「家族」とは不思議な巡り合わせだな、と思う。
夫の家族と、私の家族が集まっていると、やっぱり血縁関係のある者たちの集まりは1グループに見える。顔や体型や、そこから溢れ出てくる雰囲気が同質に感じるのだ。お父さんとお母さんと子供たちという最小単位の家族のかたまりが、その後ろにも、そのまた後ろにも・・・・・・気が遠くなるほど連なっている。
私には子供がいないので、どこまでも連なる家系図の最先端にいる私のところから先は続いていかない、ということになる。よく考えると、これは結構一大事のようにも思える。夫と私のご先祖様に申し訳ないという気持ちもあるが、夫や私の後ろで見えないけれど見守って下さっているご先祖様たちの導きのもと、現在私たちは生かされているのだとしたら、これもまた、ご先祖様のお導きだったのではないか、などと都合のよいことを思ったりもしている。
さてさて2025年。色々と騒がしくなりそうな予感のする年ではあるが、まずは社会の最小単位である「家族」が平和でなければ世界が平和になるはずもなく。
なので、身近にいる「家族」や「友人」を大切にし、全人類には自分と同じように大切に思う「家族」や「友人」がいることを忘れずに、愛をもって過ごしていきたいと思う。
ここから先は
旅をしながら詩を奏でる ー鶴田真由・女優ー
流れゆく景色を眺めながら心に浮かぶ言葉を紡ぐ。物理的に移動する旅もあれば、たったひとつの言葉から心の中の風景が流れることもある。その気にな…
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?