死にたかった私が死んでもしたくなかった「あること」
昨今の私は、穏やかな気持ちで仕事をし、夫と三人の子どもと一緒に晩ごはんを囲むのが日課だ。
しかし今から10年前、秋の青空を見ると死にたくなり、生きていること自体が苦しくて、しょっちゅう「死にたい」を口にしていた。
「迷惑ばかりかける自分はこの家にふさわしくない」
「私なんていないほうがいい」
その思いがいっぱいいっぱいになったとき、私は7階の柵の向こう側にいた。
排水管から手を放せば私は落ちて死ぬ算段だ。
放そうとした瞬間、子どもたちの顔が浮かんだ。
「死んでも同じことのくりかえし」
死んで苦しむより、生きて苦しむ方を選んだ。
そして今、ここにいる。
死にベクトルとエネルギーが向く一方、私は「あること」を絶対にしようとしなかった。
それを避けるために死を選ぼうとしていたのではないか、と思うくらいだ。
それは
「自分の本音を知り、表現すること」
だった。
子どもの頃から、私は大人の顔色を読むのに長けていた。
口では相手を褒めながらも陰で罵り合う叔母たち。
「まゆ子が幸せになれば」と言いながら、実際にその通りになると、急につまらなそうな顔をしたり「いい気になるな」とつぶやく母。
また、「かわいそうな母を私が助ける」のが私の生きる信条だった。
事実、母は私が「いつか大人になってたくさん稼いでお母さんを食べさせてくれる」ことを大いに期待していたし、そのように指示してきた。
「いい学校に行け」
「田舎のバカな人間とつきあうな」
「社会人になったらお前の給料でお母さんとおばさんたちを温泉旅行に行かせなさい」
親の期待にこたえるのが当たり前になると、子どもは自分の本音が言えなくなる。
「本音を言うことは自分の居場所を失うこと」だからだ。
いや、言えないどころじゃない。
自分の本音がそもそもわからない。
「自分を押し殺して親を助けないと自分の命を保てない」から無意識で分からなくするのだ。
「さびしい」
「本当はつらい」
「お母さん、私の話を聞いて」
そんな心の声を殺していくうちに、私は自分の本音が分からなくなった。
そして、母の期待に応え続けた。
生きのびるために、自分の心を押し殺す。
自分の心を大事にすることは、自分が死ぬこと。
文字にすると、この思い込みはリクツがかなりおかしい。
しかし文頭に
「親(他人)が私の命をにぎっているので」
をつけるとすごく筋が通る。
本来なら感じられて当たり前の感情も感じなくなる。
そうすると、自分が本当はどうしたいのかもわからなくなる。
選んだことがすべて
「他人に尊敬されるため」
「他人を見返すため」
「他人を助けるため」
なのだ。素の自分がどこにもいない。
自分の本音は分からなくなっても、消えることはない。
「自分の口からは言えない、でもわかってほしい」
だからひたすら、誰かの役に立つように動く。
だからひたすら、気持ちを言葉にしないで雰囲気で表す。
だからひたすら、家族をコントロールして自分の思い通りにし続ける。
一時的に不満や不安は解消されるが、深い安心感は絶対に得られない。
「何かができない自分には価値がない」からだ。
本音を自ら知って、自らの責任で表現することは死ぬほど怖いこと。
そんな死ぬほど怖いことはしたくない。
ああ、でももう誰もわかってくれない。もう限界。
本音を言って「私がかろうじて存在する場所」を失うくらいなら、
いっそ死んでしまったほうがいい。
「私がこんなに苦しいのは、私の本音に気づこうとしなかった周囲のせい」
死んだら、きっと周りは私に関心を向けてくれるし、何があったのかを知ろうとしてくれるだろう。
死んだら、私も他人のためにエネルギーを消耗しなくてすむ。
なんてラクなんだろう。
「肉体の死をもって、存在の生を選ぶ」
一言で表すなら、私が死のうとしたときの気持ちはこんな感じだ。
死ぬことをやめて生きることを選んだ私は、セラピーを受けるようになった。
自分のトラウマや感じるのを避けてきた恐怖や悲しみ、怒りと自ら向き合わないといけない。
初回のセラピーの翌日は38℃の熱が出て動けなくなるなど結構大変だった。
ただ、一つ一つ、自分が押し殺してきた思いと向き合い、大事にすることで、自分の思い込みも少しずつ変わった。
あれほど辞めたいと思っていた税理士業も、自分の本当の「好き」とつなげることで収益の軸になった。
「いいお母さん」をしようと無理していたときよりも、ダメなところも子どもにさらけ出せるようになった今の方が、子どもとのかかわりが楽しい。
夫がほぼ毎晩作るごはんにも「ごめんなさい」ではなく「ありがとう」と言っている。
「肉体の死より存在の死の方が怖い?それ、ほんとう?
肉体が死んだら二度と生き返らないよ。
それに、本音を感じて表現したら、本当に存在が死んでしまうの?
ためしに、肉体の生を選んで自分の本音をさぐってみてごらん」
10年前、一人静かに死のうとしていた自分がもし目の前にいるのなら、こんなふうに言ってみたい。