10日目 承認欲求がほとんどない
※非認識欲(正しくは被認識欲)→承認欲求に修正しています
「マズローの欲求5段階説」の4番目に来るのが承認欲求です
自分でいうのもアレですが、私はわりとお利口な子どもでした
もう、今では、見る影もありませんが…(笑)
先日テレビのニュース番組で、「ギフテッド」についての放送があり、母と一緒に見ていて、IQテストの話になりました
私は、幼稚園の時行われた知能テストで満点だったそうです(当時、地元の公立幼稚園では普通に実施されていたのかな?)
私は知能テストを受けたことさえ覚えていないし、当時もその後も、そんな結果は知らされていなかったので、先日初めて知りました(笑)
その結果のせいか、母は幼稚園から呼び出しを受けたそうです
そして、「お子さんは頭がいいので、よく見守ってあげてください」他、いろいろ言われたようです
母も高齢なので、それがどこまで本当なのかわかりませんが(笑)
それを聞いて、私は母にたずねました
「お母さんは、そう言われて、ちょっと問題集やらせてみようかとか、英才教育的なことさせてみようかとか思わなかったの?」
私に興味のなかった母の答えは予想通りでした
「特に思わなかった 自分で勉強したければするだろうし、ピアノと書道とそろばん習ってたから、それでいいかなって 仕事が忙しかったから、あなたにかける時間はなかったのよね… 田舎だったし、受験が必要な私立や国立付属の中学も通えるところになかったしね まぁ、お受験とか、今だからいろんな情報があるからわかるんだけどね その当時は知らなかったし 高校・大学は国公立にいってくれればいいなとは思ってたけどね」
はい、ごめんなさい…、私立大学に行かせていただきありがとうございました…
小学校高学年の時(昭和50年代)、両親と親戚の通夜・葬儀のため飛行機で東京に行ったのですが、この時のことは、今でもとてもよく覚えています
急なことだったので、3人とも離れた席に座ることになったのです
その時、私は、母親と同年代くらいの女性の隣の席に座ることになりました
その女性は、子どもがひとりなのが気になったのか、私に話しかけてくれました
その方のお子さんは中学1年生で、慶応中学に入学、親戚の家に下宿しているので、久しぶりに会いに行くとのことでした
えっ? こんな地方から東京の中学に行けるの? どうして? 慶応って、入るのが大変な大学があることは知っているけれど、中学とかあるの?
田舎者の私は、その話を聞いてワクワクしました
通夜・葬儀を終え、家に帰ってから母親に言いました
「慶応中学受験したい!」
現実を知らない子どもの言うことは恐ろしい(笑)と、今では思います
その頃の私は、学校の勉強に物足りなさを感じていました
塾に通っている子はクラスに2~3人くらいしかいない、田舎の小学校
もちろん私が通っていたのは、お稽古事のみでした
インターネットなんて当然ない時代で、「中学受験で慶応に行く」なんて、こんな機会があるなんて!!と、喜び勇んで意思を伝えました
またまた、母親は予想を裏切らない回答を(笑)
「もし合格したとして、東京でひとりで暮らすの? お金もかかるし…」
あっ、合格した時のこと考えてくれるんだ! イケるかも!
「受けるだけでいい! 受験のための勉強するから、受けるだけ受けさせて!」
もちろん答えはノー
私の願いは木っ端みじんに砕け散りましたとさ…
このことをここに綴ったことで、私のほとんどない承認欲求はめちゃくちゃ満たされました(笑)
40年以上前のことですが、心のどこかで、誰かに聞いて欲しいと思っていたのでしょうね…
結局、そこそこお利口な子どもだったせいか、小中高、やたらといろいろな役や仕事を任されました
もう、迷惑以外の何ものでもない!! 先生なんか大嫌い!!
身長も高く大人っぽい見かけだったこともあり、嫌でも目立つ存在なのは自覚していました
こういう経験を経て、私から承認欲求というものが消え去りました(笑)
目立たず、黙々と仕事をこなし、十分な役割を果たすことはお給料のため
昇進とかいらないし、生きるのに足りる収入があればいい、夢なんてないし…
今も、目立たない方がいい、そんな感じで生きています
いいのかな? よくないのかな? 自分でもよくわかりません…
離婚後の再スタートでいくつかの職場を渡り歩き、「評価」を気にする人が多いのに驚きましたが、それが普通なのでしょうね…
私は、結果は後からついて来ると思っているタイプなので、そこを気にしたことはないですね
結果と言っても、昇進や昇給ではなく(ミドルエイジの中途入社なので考える必要もないですが 笑)、「信頼を得る」ことが大切だと考えています
それも承認欲求に入るのかもしれませんが…
承認欲求がほとんどないのは、親に対する承認欲求を持たなかったことが大きく影響していると思います
私に対して興味のない人たちにそんなこと望んでも仕方ないと達観していましたからね
「普通」ほど難しいことはないです
これからの人生、「普通」でいられるよう、ここは見直しが必要な部分かもしれませんね