7日目 うれしかったことよりもツラかったことの方をよく覚えている
忘れられた方が幸せなのに、ツラかったことをいつまでも覚えているのはなぜなのでしょう?
私の場合、多分、自分の中で納得できず、気持ちを昇華できていないからなのだと思います
少し悔しかったな…くらいのことは全く思い出すこともないのですが、一方的に責められたり、勝手な解釈をぶつけられたりした時のことは、ずっと覚えています
そして、それを思い出すと動悸が速くなったり、ひとりごとで悪態をついたりしてしまいます
「もういいじゃん!終わったことなんだから!!」と自分に言い聞かせてみるものの、全然気持ちは収まりません
そのツラかった場面がフラッシュバックしてしまうのです
原因はわかっています
その事象が起きた時、私に説明の機会を与えてもらえなかったからです
説明すれば簡単に解決できることなのに、言葉を遮られ、「はい、これはもう終わり!」とされたことが何度あったか…
職場でもそんな思いをすれば当然嫌な気持ちになりますが、そんな理不尽な思いは誰でも経験したことがあるでしょう
私の場合は、家庭でもそうでした
元夫はかなり年上で、子ども至上主義
子どもと一緒に遊ぶというようなことはなかったのですが、金銭的・物理的に満たしてやりたいと思っている人でした
子育てに関しての意見の食い違いは、説明しても説明しても、理解したふりをするだけで、聞き入れてはくれませんでした
家族で暮らしていた約20年の生活の中で、楽しかったことやうれしかったことはたくさんあったと思います
でも、ほとんど思い出せない…
うれしかったことでよく覚えているのは、子どもが誕生した瞬間かもしれません
昨日のことのようによく覚えています
すごくすごくうれしくて、愛おしくて、幸せな瞬間でした
ツラかったことを忘れたい、いや、思い出さなくてすむようになりたいです
母と一緒に暮らしているので、会話の中で母が元夫のことを悪く言う場面がたびたび出て来ます
思い出さないようにしているのに、母にはそんな私の気持ちはわからないようです
年をとってしまったので、現在進行形のことが少なく、過去のことが話題になるのは仕方がないのかもしれません
だから、私は母を責めたり元夫の話をしないように言えずにいます
「そうだったね」「うんうん」と、話を聞き流すことで、その話題(悪口?)に加担しないようにしています
それが私の防御策ではありますが、動悸が速くなるのは否めません
野口嘉則さんや瀬戸内寂聴さんの本を読んでみたりしましたが、その時は理解し、実行できたつもりでも、そう簡単には行かないものですね…
職場で毎年「チームビルディング研修」を受けていますが、実際、職場環境の改善には全く影響していませんね
それどころか、全く反対のことをしていても気づかない人の方が多いのに驚きます
「記憶の上書き」ができるように、新しい「うれしかったこと」「たのしかったこと」の経験を増やして行けたらいいなと思っています
今はいろいろと足踏み状態で、三歩進んで二歩下がるどころか、一歩も踏み出せていない日々です
登録だけしていて何もしていなかったnoteに綴り始めたのも、一歩踏み出したかったからかもしれません
愚痴っぽい内容の日もあると思いますが、さらりと読み流していただけるとありがたいです