掌編「選挙」
7年と33日に一度の、その日がやって来た。選挙の日だ。村人たちは、そんなものは存在しないかのように日々の生活を営んでいるが、その日の朝は、みな、そわそわしている。村に一箇所だけの公民館に投票所が設けられ、回覧板にはさみ込まれた自分の家の分の投票券を持ち、重い足取りで、投票に向かう。
選ばれるのはひとりだけ。選ばれた者は、隣村との境界にある御山に連れて行かれ、生贄にされる。人身御供だ。
「かんかんだら」という民話がある。昔、とある村に、人を襲って喰う大蛇が現れた。頭を悩ませた村人たちは、村長に相談する。村長は霊的能力を持った一族に頼み込み、最も力の強い巫女を遣わしてもらう。巫女は死力を尽くして大蛇と戦うが、すんでのところで、下半身を喰われてしまう。万事休す、と諦めた村人たちは、巫女を生贄に差し出す代わりに、村から出て行ってほしい、と懇願する。大蛇はそれを受け入れ、巫女を喰って、村を去る。しかし、その後、巫女の呪いが……。
そんな昔話だ。この昭和の時代に、大蛇だ巫女の呪いだ、などという話を信じる者はいない。だが、御山には何か得体の知れないものがいて、7年33日ごとに生贄を差し出さないと、大変な災厄が村を襲う、という話はずっと信じられている。馬鹿げた迷信だ、とよそ者は嘲笑うかもしれないが、村人たちにとっては「真実」なのだ。その証左に、選挙は途切れることなく行われてきた。
村民約千人のうち、25歳以上の者が投票する。誰も一言も発せず、並んだ木台で用紙に名前を書き、村長の前に置かれた投票箱に入れる。立候補者の氏名は、どこにも掲示されていない。しかし、有権者の頭には叩き込まれている。
選挙の6日前、立候補者の顔見せ祭りが開かれる。立候補、とは言っても、村長の推薦で選ばれる。断れる者はいない。
夜も更けた頃、村の広場に、三々五々村人が集まってくる。ぼんやりとした提灯の明かりに照らされて、夏祭りに使うやぐらの上に、立候補者が立っている。赤い文字で書かれた自分の名前のたすきをかけていて、たった一言だけ、自分の名を大声で叫ぶ。集まった村民は、水を打ったような静けさの中、立候補者を見つめている。立候補者全員が名前を叫び終わったら、また三々五々、帰っていく。
選挙は冬に行われる。投票を終えた村人は、暖を取りながら、その時を待つ。
夕暮れ、村中の電信柱に取りつけられたスピーカーから、村長の声が響いた。
「ええ、今回の選挙の結果が出ました。有効投票数682票。当選したのは、岩登二丁目の今里家の次男、孝太くんです」
その発表が流れると、毎回のことではあるが、選ばれた家の者たちは当選者の名を歓呼し、これ以上の喜びはないという表情で外へ連れ出す。隣近所から祝辞を述べに人が集まって来て、当選者は、決まりきったお礼の挨拶をする。玄関先はわずかな間、賑わいを見せるが、すぐに人だかりは消える。
家に入ると、孝太の両親は彼の前にひざまずいて泣いた。
「まだ中学生のおまえが、まさか、選ばれるなんて……。すまない、本当にすまない。なんてむごいことだ」
父親は嗚咽した。
当選から4日後、村長と村議数人、そして神社の神主に伴われ、孝太は御山の入り口に立った。かつては木製の柵がぐるりと山を囲い、御幣が下がっていた。それが昭和になってから、金網に変わり、有刺鉄線が巻かれ、祝詞が書かれた木札がほぼ等間隔に打ちつけられている。
「私たちはここまでだ。それでは」
村長が冷たく言い放った。
「神のご加護があらんことを」
神主が言った。
「『何か』と戦ってもいいんですよね?」と孝太が訊いた。誰も答えなかった。
秋田県にある黒又山にも似たピラミッド型のその山に生贄として入り、帰って来た者は誰ひとりいない。孝太は乾パンをかじりながら、木々の隙間から差し込む陽光を見ていた。
どれほどの時が過ぎたのか、山頂に着いていた。そのまま歩き続け、反対側の斜面を少し下ると、池の暗い水面に懐中電灯の光が映った。と、遠くのほとりに灯りが見える。近づいていくと、老人がひとり、焚火にあたっている。
「こんばんは」と孝太は声をかけた。
老人は虚空を見るように彼を見て、手招きをした。孝太は焚火をはさんで向かいに腰かけた。
「当選したのかい」と老人は呟いた。
「はい」
「ぼくもそうだった。日本とロシアが戦争していた頃だ。選挙はね、元々、江戸時代に口減らしのために始まったんだ。姥捨てって知ってるかい? 江戸時代の半ば、姥捨てより子捨てが盛んになってね。長男に家を継がせたら、養えない子どもは奉公に出した。でも、病弱だったりして、働かせられない子どもを捨てられるからくりを村をあげて考え、思いついたのが選挙だ。ひどい話だよね」
老人は、いつの間にか小さな子どもになっていた。焚火の炎に照らされたその顔は、笑っていた。悲しげな笑顔だった。
「ぼくが当選して、家族は楽になったのかな……」
子どもは煙のように消えた。
孝太のズボンのポケットから、通信販売で手に入れた十徳ナイフが滑り落ちた。
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