掌編「歌の檻」
(ブンゲイファイトクラブ5応募作です。一部記述の誤りを訂正しました。内容に変更はありません)
「リポグラムの呪いをきみにかける」と一行目を書き出して、詩人Kの手が止まった。呪詞なのに、呪いを発動させる重要なフレーズが抜けていて、呪えない。それは呪いではなく、別の何かではないのか。自責とか、自己憐憫のような……。そんな発想が面白いと思って書き出した詩だが、すぐにげんなりしてきた。つまらない。凡庸だ。
こんな状態になって、もう半年。有り体に言って、スランプだった。詩神の恩寵に与ったかのような、インスピレーションが止めどなかった時が、確かにあった。詩人にとって最高の栄誉とされる「M氏賞」を受賞した際、彼は自分の才能を確信し、これから涸れない言葉の源泉から受け取って、どれだけでも詩を紡いでいけると信じていた。
幻滅だ。
そう、終わりだ。
賞を獲ってから六年、泉は涸渇した。
書棚から、レーモン・ルーセル『ロクス・ソルス』を取って、ページをめくった。文字化けしたEメールのようだった。吐き気を催した。
一時期、超がつくほどの売れっ子だったが、今ではもう見る影もなくなった、ある小説家のエッセイの一節を思い出した。
「帝国ホテルのロビーを歩いていると、誰でもサルトルの『嘔吐』が書ける、と思ってしまう」。
『嘔吐』で、主人公のロカンタンの吐き気を和らげたのは、ジャズだった。しかし、Kはジャズが嫌いだった。イージーリスニングの曲をかけてみた。が、気分は悪いままだ。
Kは、ずっと言葉を身にまとっている気でいた。しかし、今、言葉は得体の知れない異物になった。言葉が蛇になって、床を這っている。呪詛を吐きながら。スペルスネークだ。
ふと宙を見ると、言葉が言葉と戦っている。イディッシュ語とアラビア語だ。壁の破片が暴夜に渦巻いて舞っている。
ルーン文字が魔術で炎となって、キリル文字を焼いている。
サンスクリット語で書かれたレシピを呑み込んだタブレット端末から、ツナサンドが排出される。
判読不能の、何世紀も前に滅びた言語が、紙の上を泳いでいる。
聖書が噴き上げたコイネーが、口語ヘブライ語にからみついて声なき声を上げている。
宇宙空間で方位を見失ったグーグ・イミディル語は、狂ったようになってとぐろを巻き、クンダリーニをなしている。
Kは目を開けたまま眠っていた。覚醒して、手に持っていたレーモン・ルーセルの本を閉じた。
言葉とは不自由なものだな、と感じた。言葉が生まれる以前の世界は、単純だが、幸せな世界だったに違いない。
大学生の頃、家庭教師のアルバイトをしてもらったお金で買ったCDラジカセを、長い間使っていた。ここ二、三年は置物と化していたが、ほこりを払って、ラジオをつけた。流れてきたのは、「暗い日曜日」。自殺を誘う歌だという。
歌。
言葉以前は。
歌だ。
約四〇万年前に登場したネアンデルタール人は、言語ではなく、一種の「歌」でコミュニケーションしていたらしい。そして、絶滅してしまった。高度に発展する社会をつくるためには、歌は、エモーショナル過ぎたのだ。
Kはラジオを消した。思いつきで、鼻歌を口ずさんだ。
言葉は不自由だ。
歌だって、それほど自由ではない。
だが、書くしかないんだ。
歌うしかないんだ。
詩人Kの唇を通り抜ける歌声は、部屋を一周して、元の唇に戻ってくる。
ウロボロスの檻。
ペンを握り、ゆっくりと動かす。
詩のタイトルは、「歌の檻」。