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教員志望だった私が代表取締役になっていた経緯③〜教員からの逃亡編〜

オーストラリアから帰国し、バイト先を新たに探していた時にちょうど誘われたのが児童養護施設での非常勤の児童指導員。将来教員になった時のために勉強になりそうだし、児童福祉の分野には元々興味があったし、何よりも時給1200円の食事付き。ということで、面接と小論を難なくくぐり抜けて採用。大学4年ともなると授業はほとんどなかったので、最後の1年はほぼ働いていたと思います。

そんな私に、後輩から一言「教員採用試験受けないの?」と。「受けようと思ってるよー!」と答えると、「え、もう募集終わってるよ。笑」

∑(゚Д゚) ナンテコッタ

焦って調べると、確かにすでに東京での募集は終わっている。。地元の山梨は・・あった!まだ間に合う!!ということで、山梨県の教員採用試験にエントリー。

そこから猛勉強!!・・という訳でもなく。。今でも思い出せないくらい、なんとなーく勉強したかなーという程度の勉強しかしませんでした。で、教員採用試験の2日前。先輩と飲んでいた時に「教員採用試験、ほとんど勉強してないし、受けるのやめようかなー・・」と呟くと、「いや、とりあえず行けよ」と言われ、しぶしぶ受けることに。試験前日の夜、募集要項をよく読むと、持ち物に「水泳帽」とあるではありませんか!持ってないぞ、そんなもの。。・・急いで西友に・・西友よ、夜までやっててくれてありがとう。山梨の教員採用試験は珍しく、1次試験から体育の実技試験があります。面倒なところを受けてしまった・・。それでもまあ、なんとか教員採用試験、乗り切りました!!

後日、試験の結果・・・もちろん「不合格」。それを見て、当たり前だよね、と思うと同時に、ちょっとホッとしたのを覚えています。後で調べると、その年に山梨県で小学校教諭に合格した新卒生はたったの1人。受かる訳ないやん!!勉強しなくてよかった、時間と労力を無駄にせずに済んだ。。と思っていましたが、今思うと、こんな志低い人間が教員にならなかったのが一番のよかったことでしょう。

そこから月日が経ち、大学4年の3月。未だに進路を決めていなかった私にかかってくる何本もの電話。東京都内の幼稚園から高校、特別支援学校まで、あらゆる学校から非常勤職員として働きませんか、というオファーの電話が鳴り止みませんでした。私が、免許だけは色々と無駄に持っているというのも要因にはありましたが、そこまで教員が足りていないことにも驚きました。一番悩んだのは、教育実習先だった小学校の校長先生からの電話。

「教員を目指しているなら、うちの学校で働きませんか?特に今空きがあるというわけではないですが、あなたの意欲があるなら枠を作りますよ」と校長先生直々にお電話をくださったのです。私の何をそんなに気に入ってくださったのか・・昔から、私はなぜか先生たちから期待される傾向にある。。(←ただの自惚れかも)返した答えは「1週間待ってください」と。

そこから考えに考えました。私の下した決断は、とりあえずこのまま児童養護施設で働く、というものでした。校長先生には、「児童養護施設でもいろんなことを学べているし、せっかくなら教員以外のことをしておきたい」と伝え、丁重にお断りしました。ただ、校長先生からは「教員を目指すなら、現場での経験をしておいた方がやはり近道です」と言われ、確かにその通りだと納得したし、そっちの方がきっと試験も受かりやすいだろうというのは理解していました。でも、だからこそ、私は断ったんだと思います。

“教員になることから逃げていた”んだろう、と何年か後になって気づきました。でも、当時はそのことに自分でも気づいてなくて、「まだ他にやりたいことがあるから。3年学校以外で働けば、採用試験も受かりやすいし」とよくわからない言い訳を並べていました。”教員になったら、一生教員。その道から外れることはない”そんな感覚がどこかにありました。だから、踏み出せなかったんです。オーストラリアで得た、「もっといろんな世界を見たい」という、あの感覚が忘れられなかったんだと思います。

そしてそのまま児童養護施設に就職した私は、大学時代とほぼ変わらない、むしろ授業も掛け持ちしていたバイトもなくなり時間の余裕が生まれ、のらりくらりと日々のお酒を楽しみに生活していました。

そんな私に、久しぶりに会った先輩(後の一人目の夫)から聞かれた一言「将来何したいの?」

(゚ω゚)

「特別支援学校の先生になろうかと思ってます」表面上ではそう答えましたが、心の内ではザワザワ・・『そんなこと、聞かないでーーー』と叫んでいる私がいました。「自分の将来」と対峙することから逃げていたのです。”自分ができそうなこと”しか考えずに”本当に自分がやりたいこと”には蓋をして目を背けていたのです。

だって、だって、、いろんな世界を見るって、どうやって・・・!?仕事は!?お金は!?と、考えても無理なものは無理、と思って考えることさえ諦めていました。

あの、オーストラリアにいた時の私は一体どこへ・・

そんな私に、怪しい話が舞い降りてきたのです。。

続く。

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