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小説を書き終えて

 10月1日。
 自作小説『明日の月は綺麗でしょうね』を書き終えた。私にとってこの作品は大切な宝物となった。

 小学生の頃から"小説"というものは書いていた。そう言えばSNSがこれほど普及するまでは日記もずっと書いていたな。
 昔から字を書くことが好きで、当時はあーでもないこーでもないと授業そっちのけでノートに直接物語を書き込んでは消してを繰り返していた。
 今思えば、プロットも無しに書き進めていたあの頃の熱量は凄いと思う。書き始めたら止まらなかった。それくらい、自分の中の世界が広がっていくのが、とても面白かった。
 バックグラウンドが暗い(これは後にまた話すとする)私にとって、小説を書くことは現実とはまったく別の世界に連れて行ってくれる、不思議なモノだった。
 大人になって当時の作品を見返すと、2桁になりたてな私が書いた小説は、今回の作品とは真反対なとんでもなくファンシ〜なものを書いていたりする。



 今回の作品はとある撮影でイメージをもらった。
 ある日の渋谷の夜。その日も月が綺麗に浮かんでいた。撮影スナップをしようとふわりとした理由で集まった、黒髪のかわいい女の子と、少し不思議な雰囲気の男の子、そして私の3人。
 渋谷を練り歩いているうちに「あそこに行ってみようよ」と見つけた屋上。
 たまたま行った屋上で私はメインビジュアルとなる写真を撮った。その時、一気に物語が駆け巡ってきた。漫画やアニメでよくある、電気がビリビリビリと体に伝わっていく感じ。忘れないうちに、思いついた言葉のメモを取りまくった。
 黒髪の女の子は寂しげな表情が綺麗な女の子で、柵に掴まって街を見下ろすシーンを撮影した時に、絶対にこのシーンはクライマックスに使うと決めた。なので、この作品は最終話の大方の流れが一番最初に出来上がった。
彼女は必ず死ぬ。
 これがキーポイントとなった。
 そこからは昔のあの勢いと同じだった。昔と違うのはきちんとプロットを書いたことくらい。あとは自分の気持ちと勢いに任せた。

 この作品を書き始めたのは2018年の春だった。撮影したのが春だったから、小説の始まりも春。その時体で感じたことを言葉に起こしていきたくてそうした。
 しばらく軌道に乗って書いていたのに、9話くらいまで書いて筆が止まった。急に書けなくなった。理由は単純。リアルが充実した(恋人が出来た)からだった。私は昔から不幸を感じないと書けない人間ということを忘れていた。
 半年以上この物語に間が空いた。「あれはもう書かないの?」と続きを待ってくれている人がいるのは知っていたが、1ミリも書けなかった。
 そして、リアルが崩壊した途端、また書き始めた。
 馬鹿みたいに筆が進んで可笑しいのなんの。
 元々夏まで進んでいた小説と、崩壊したリアルが偶然にも重なって、私はまた現実世界と並行して湊太たちの居るパラレルワールドを描き始めた。

 再び書き始めてから、最終回を掲載する日をいつにしようかと思案した。そして思いついたのが「紫が死ぬ日を最終回掲載の日にしよう」ということ。せっかく現実の世界と時間軸をリンクさせて書いているのだから、それが良いだろうと。私ったら天才だわ♡と(笑)
 そう思ったまでは普通の発想だったのだが、その日を調べて私は本当に戦慄した。
 彼女の終わりの日を決めた2年前のあの時は、何の下調べもなく、ぼんやりと「キリも良いし10月1日でいっか」となんとも適当投げやりに彼女の命日を決めた。
 そこから2年も歳月が進んで2020年の10月1日。
 月のサイクルを調べるサイトで、今年の夏頃に「10月1日はどんな月の形なのかな〜」と軽い気持ちで調べた。
 すると、その日は中秋の名月(満月)の前夜で!しかも牡羊座のエリアで満月を迎える…!(繭乃は4月20日生まれなので牡羊座or牡牛座)
 怖かった。全てがこんなに組み合わさることがあるのかと。『明日の月は綺麗でしょうね』というタイトルが、この言葉に隠された意味が、こんなに合う日があるだろうかと。
 執筆の年月が2年延びたのも、10月1日に終わることも、全てが仕組まれたことのようだった。


 この物語に登場する2人、湊太と紫にはどっぷり"私"が反映されている。
 湊太は生きることに固執し、紫は死ぬことは救いだと思いながらそれぞれ生きている。そして2人とも心底愛に飢えた存在だ。
 私は生きることは素晴らしいことだと思うし、死は救済であるとも思っている。そして私自身、愛に飢えている。不幸に部類された人間のうちの1人だから。
 2人は私の中の二面性それぞれの分身となる。
 私も昔は、死んだ方がマシだと思っていたことがあった。今はそれほど思わなくなっただけで、死ぬことで苦しさから解放されるならそれは救済だと思っている。それが間違いだとも思わない。死んだ後の事なんて誰にも分からないし、死にたさを抱えたまま生きるには世間は冷た過ぎる。私は基本的に暗い人間だから、この世を生きるのが割と精一杯。多分、前世で相当悪いことをしまくったのだと思う。
 対して、生きることも素晴らしい事だと思う。世界にはまだ見たことのない美しい景色がたくさんある。美味しいものもたくさんある。楽しい事がたくさんある。日々の中に溢れる小さな幸せのカケラを集めていくことは尊い。そして誰かの中に"自分"という存在が生きる事は素敵な事だ。
 私は傲慢にもこの小説を通して、"私"という人間性が伝わればいいなと考えながら執筆を続けてきた。分かってもらおうだなんて、本当に傲慢。だからこそ「読んでるよ!」「続きが楽しみ!」「終わっちゃうのが寂しい」と言ってもらえたことが本当に嬉しかったし、ありがたいと思った。
 私の今ある全てを、等身大の私を詰め込んだ小説を読んでくださり、尚且つ、私を受け入れてもらえたなと。勝手にそう思っている。


 物語は無事に終わりを迎えた。
 書ききった達成感もあったが、やはりどこか寂しさを感じている自分もいた。今年の4月から月一連載を始め、あっという間に終わってしまったなと思う。なかなか言葉が思いつかなくて苦しかった時もあったが、書けない時にどうスイッチを入れるか、というのはとても修行になった。そして、改めて小説を書くというのは楽しいことだなと感じられた。

 連載は終了したけれど、まだまだこれからもこの物語が愛されるものになってくれたら、それ以上に嬉しいものはありません。今は朗読もしてるからまだもう少し彼らと居られる時間があるけど、それも終わったら本当に寂しいんだろうな(笑)
 いつも感想をくださったり、いいねをくださったり、RTして布教してくださったりした皆様、本当に嬉しかった。創作の糧となっておりました。
 この物語に出会ってくれて、愛してくれて、本当にありがとうございました。

 この小説があなたの中で何か少しでも響くものでありますように。心の片隅に湊太と紫が生きますように。

繭乃

小説本編
https://note.com/mayuno42/m/mbf1dde5fbd73

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