第二の故郷
私にとっての第二の故郷は湘南の街である。
数年前まで、いやもっと前だったか、湘南には祖母の家があった。
なんでも刺激を受ける幼い時期をこの街で過ごし、たくさんの知見を得てきた。私が湘南の街や、海への想いが強く根付いているのはそのためである。
しかし、冒頭にもある通り、様々な事情で幼少期を過ごした祖母の家は数年前に取り壊されることになり、今は跡形も無くなってしまった。現在、かつて庭のある割と大きな家があったその土地には、二軒の家が建てられている。
2022年7月21日
午前中から海での撮影をしていた。
撮影は早めの時刻に終わり、午後はゆっくりすることが出来たので、祖母の家があった場所とその周辺を取り壊されてから初めて巡ってみることにした。
元祖母宅の最寄駅に到着。
マップなど見ずに行けるだろうと自負していたのだが、降り立つや否や景色にピンと来るものを見つけられず、結局マップを頼りに歩くことになった。
祖母の家のあった住所は何度も何度も年賀はがきに書いていたので、丸々覚えていたことが助けとなった。
にも関わらず、マップで示された道を無視して度々出てくる「この道昔通ったぞ」という直感と記憶を頼りに進んでみると、まるで違う場所に出てしまう。
方向音痴人間はそれを何度か繰り返した。
昔見ていた景色が本当にここだったか。
段々と不安になってくる。
10年以上前の記憶は、古く、脚色されているのだなと実感した。
そんなこんなで歩いていると、馴染みのある橋に到達した。
風が強く、吹き飛ばされそうで写真は撮れなかったのだが、この橋も幾度となく歩いた。
こんなに短くて小さな橋だったか…。
祖母の家で飼っていた愛犬を散歩に連れて歩いたり、海へ行った帰り道に通ったり。
なんだか込み上げてくるものがある。
懐かしい匂いと景色がまだあった……と、どこか安心したような気がした。
元祖母宅までだいぶ近くなり、やっとマップを閉じて景色をじっくり観察しながら歩くことが出来た。
がらりと変わった建物もあれば、まだあったのかと驚く建物もあった。
歩きながら泣きだしそうになってくる。
私の大切な記憶の中の思い出と、少しずつ変わっていく世の中とのギャップに置いてけぼりにされているような、世界は廻り続けているんだなというような。
無くなってしまっていたら…と一番危惧していた、祖母の家の隣の大きな公園はまだ存在していた。
よく遊んでいたターザンのように遊べる遊具も存命で、あれに必死で飛び乗っていた頃が懐かしくて仕方がなかった。
近づいてみるとなんて低くて短い距離。
あんなに手を伸ばして必死に手繰り寄せて、祖母や叔母に手助けを求めて飽きもせず何度も遊んでいた。
何の苦労もなく遊具を動かせてしまえる自分の大きさに、時の流れを感じた。
それにしても、ずっとメンテナンスされて使い続けられてきているんだなぁ…。
今時なんてクレームひとつで遊具が取り壊される時代だ。この日は雨が降っていたので、遊んでいる子供たちを見れず残念ではあったが、未だに残されているのは、その遊具が人気な証拠なのだろうと思えた。良かった、良かった。
近くにあった八百屋さんにも足を運んだ。
まだまだ健在。人も多く集まっていた。
さすが、地域密着の八百屋なだけある。
配置も建物も昔のまま。
私にとってのタイムカプセルのようなお店になったなぁ。ずっとずっと愛されるお店でありますように。
元祖母宅前までやってきた。
真新しい家がニ軒建てられていた。
初めてそれを目の当たりにした感想を言えば、ショック。ただその一言に尽きた。
二度と目にすることも、匂いを感じることも、触れることも無くなってしまった元祖母の家。
母とその妹弟の身長が記された古い柱も、昇降するたびにカタンコトンと音を鳴らしていた木造階段も、幼い私が走り回った廊下も、もう何も無い。
在ったものが跡形も無い、というのはこんなにも淋しいものなのだなと感慨に耽る。
もっとたくさん写真に残しておけば良かった。一番にそう思った。
なんだか異世界に飛ばされた気持ちでふらふらとその近辺を歩いていたが、新しい家のうちの一軒から人が出て来たので、怪しまれないうちにそそくさとその場を去ることにして、私の懐古散策は終わりを告げた。
新しい家には新しい歴史がまた刻まれていく。
微笑ましいことである。
家屋というのは幸せの象徴であってほしいから。
また誰かの大切な場所となりますように。
どうか、健やかであれ。
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