枝村匠馬選手引退に寄せて
またこの季節が来てしまったのだなと思いつつ、あくまで自己満足ですが、少数待ってくださっている方もおられるということですので、エスパルスに関わる選手の引退や移籍について、綴らせていただこうかなと思います。これはあくまで取材をさせていただいたライターいち個人としての気持ちです。皆様は皆様のお気持ちを大切にされてください。
枝村選手の引退に関するリリースを目にした日は、正直に言うと一晩落ち込みました。もう少し長くプレーするものだと思っていたので少し驚いたところもあります。すでにキャンセルできない仕事が入っており、引退会見にすら出られませんでしたので、アップされた見られるだけのリリースや会見動画を見ました。
想像よりさっぱりした表情で笑顔を浮かべながら話す枝村選手がいて、ちょっぴり驚きました。「やりきった」という言葉に、なぜか自分が救われた気がしました。
サポーターの皆さんは、枝村選手のことをよ~~~~~く理解して、熱い思い入れをもって応援して来たのではないかと思います。人一倍サッカーが好きで、表面的にはそっけないので誤解されやすいのかもしれませんが、つつけばちゃんと、サッカーへの洞察力や言語力を持ち合わせていましたので、枝村選手にインタビューするのは大好きでした。
気の利いたポジションにいるし、無駄走りもする。ピッチでは報われない瞬間も多く、悔しい思いもたくさんしていましたので、全編書けないのではないかと思うほどその悔しさをぶちまけられて戸惑ったこともまだ彼が若い頃に1回だけありましたが、その時は傍から見ていても気の毒なぐらいだったので、無茶苦茶共感する一方で、ヒヤヒヤしながら見ていました。
今だから言いますが、エスパルスから海外移籍して欲しい1人でした。直接ご本人にも御伝えしたこともあります。ライターとして、何かキラーパスのような最適な言葉を持ち合わせていたらよかったのにと、時々思い返します。でも「やりきった」と引退会見で行っていたから、エスパルスにいる時は満たされないことばかりだった彼が、移籍を重ね、藤枝まで選手として走り続けることで、大きく変化したのだなと過ぎ去った年月の重みを感じました。
引退後として「指導者」という言葉が聞かれたのもとっても嬉しいことでした。選手同士になると、延々サッカーの話をしていたという数々の証言を他の選手からいただいていました。選手から指導者へのシフトで最も大変なのは「言語化」です。枝村選手は自らの現役時代の痛かった経験の数々が生きると思いますし、そういう選手ほど、いい指導者や解説者になっている気がします。誰を指しているかは、エスパルスサポーターのみなさんならわかるのではないかと思われます(笑)
ジュニアユース時代から、学校が終わると、一目散に牧之原から三保まで。毎日毎日送迎するご家族もさぞかし大変だったと思いますが、ご本人もよほどの根性がなければ、なかなか通い切れるものではありません。どれだけサッカーが好きなんだろうって何度も思いました。だから、大好きなサッカーを楽しむためにも、もっとうまく立ち振る舞えばいいのにって何度も思いました。そこだけはちょっと不器用だったのかもしれませんが、そういう不器用さも含めて、枝村選手の魅力であり、ちゃんとその素晴らしさを理解してくれている人がいたから、ここまで彼は現役で頑張って来られたのだろうなと思います。
ホーム最終戦の横断幕の数を見て泣きました。でも、引退会見を見て、寂しいけれど、悲しくはありませんでした。これからも枝村選手がサッカーファミリーで居続けることが伝わって来たし、素敵な笑顔が見られたから。
枝村選手、枝村選手のご家族のみなさん、そして枝村選手を応援していた皆様お疲れ様でした。いちライターとして枝村選手を取材できたことを心から感謝しています。ありがとうございました。
今後の活躍をお祈りします。