#はじめてのインターネット
ライターとしてかれこれ25年ほど活動していますが、1999年当時からインターネット回線を使い、海外で、試合のテキストライブを始めました。その時の初めて経験を。
ただ、当時はまだWIFIもありませんし、思い切り電話回線。パルス信号とはいえ、モデムプラグもさせず、プリペイドシステムのためカードのピンコードを入力しなければつながりません。ホテルではそれでもモデムセーバーが使えましたが、野外のスタジアムではそうはいうきません。
テレカプラーという受話器型でコードがついたものをマジックバンドで、ネットにつなぐための電話の受話器にとりつけ、ピンコードを聞いてくる時間を計算しパソコンからパルス信号を入力。ピ~~~~~~~~プルゥ~~~~~~~という音がして開通したときはホッとしたものです。
ほぼスパイ道具のためたびたび入国審査で招聘状をもっていても止められ別室ですべての荷物をチェックされましたし、本当に大変でした。でもあのピ~~~~~~プルゥ~~~~~の音は幸せの音でした。
今は世界中どこでも何の苦労もなくつながります。海外ではテレカプラーからモデムセーバーになり、LANケーブルになり、WIFI端末へ。この時代の変遷を思い返すたび、なんて努力をしてきたんだろうって思います。
けれど、待っている人がいる。テレビの放映もないから、試合の行方を気にして何度も何度もリロードボタンを押しながら楽しみにしている人がいる。そう思うと、無茶して海外のテレコムにスタジアムにピンコード入力じゃない電話機を貸して!!!国際大会なのよ!!日本の人が待っているの。お願いだから!とよく無遠慮に要求したなと自分でも思います。(笑)
今の若い人には想像もつかない世界かと思います。当たり前につながる世界。信じられないかもしれませんが、20年前にはまだそんな現状だったんです。