【個人的見解】どうしてVTuberは「中身」を出したがるのか?
はじめましての方は、はじめまして!
そうでない方はこんにちは! まゆにゃあです!
この記事ではこれについての個人的見解を述べたいと思います。
(注訳:ご本人曰く[VTuberの価値]とはVTuberという
言葉の価値という意味です)
ご注意
本記事を作成するに当たり上記の「野兎みかん」さんからは、
「この文に関して他にポストしてるんでまとめといてくださいw」
※原文ママとの要望があったので、
その意思を尊重してできるだけ多くの投稿をまとめておきます。
ソース:
個人的にこの意見には私も同じ意見を持っています。
そもそも生身を見せるなら、わざわざ「VTuber」を名乗る必要も
それらのアバターを作る必要もないわけですし。
アニメは双方向性がなかったが、
アニメ的な立ち位置でなおかつ双方向性のコミュニケーションが
リアルタイムで取れるというのがVの魅力だったはずです。
まぁ企業箱はそれ自体が営利目的だから、
VTuberという言葉ではなく前段に[所属箱XXの]とかがついていて、
そこ(ブランドバリュー)で人を集めているという話であるとすら思います。
まぁ言っている意味はわかります。金稼ぎのためには生身を出すのも致し方ないと思っていう企業があるのも見えてないにしても事実でしょうし。
以前にも以下のような記事(2020年4月)を出してますので、
もし良かったらお読みください。
そもそも論としてVとそれ以外の違いを書いておきます。
VTuberとYouTuberと動画勢の違い
動画投稿者(ゆっくり実況)
「 AquesTalk 」や「棒読みちゃん」という音声合成ソフトを利用した
ゲーム実況や解説動画の事であって大抵の場合、
東方Projectの霊夢と魔理沙が出てきます。
生身は大体の場合出てきません
(うp主としては出てくることあるけど、
あくまでストリーマーとしては出てきません)。
YouTuber
生身の人間が放送や動画上にでてくる。内容は多種多様。
個人情報などの詮索はしてはいけない点は他と同じだが、
比較的に伸びる人と伸びない人の差は激しい。
芸能人などのもともと知名度があると伸びやすい。
VirtualYouTuber(VTuber)
上述の”生身の人間”の部分をキャラクター(アバター)に
置き換えたのがVTuber(VirtualYouTuber)である。
生身を晒さないのである一定の匿名性は担保できるし、
晒すことをエンタメにもできる。
生身を出さないということが徹底されていた頃が
一番楽しかったのは事実だ。
生身を出すという行為がエンタメにできるのは、
はじめからそういうスタンスでデビューした場合や、
それなりに人気と固定視聴者がついている場合に限られるだろうと
考えている。あとはリアル側の事情で妊娠出産があった場合だろうか。
生身ではなくアバターだからというメリットとしては、
・(よほどじゃない限り)個人(中の人)の容姿は重視されないこと
・生身では出来ない表現ができること
・表に出ているキャラクターで判断されるのでRP上手い人が売れる
・容姿を自由自在に変えられること(よって生身を出す必要がない)
生身を出すVが増えるということはこのメリットを潰すものであり、
なぜお前は生身を出さないのかという、
同調圧力にもつながるものと考えているがそこまでの考えは
あるのだろうか。
夢を見せるのが仮想の存在であって、
そこに生身を晒すメリットはない。
アニメのCVは声優さんがやっているが、
わざわざそこを深く追求する人は居ないしナンセンスだということ。
コレは恐らく一般的にはモラルやマナーと類だろうと思う。
生身を出す必要がないVTuberが生身を晒すのは、
全くもって意味がわからない。
じゃあなんで初めから生身でやらなかったんだ?
そんなに生身を出したいなら最初から顔出し配信者やっとけよ。
結局Vというネームバリューに乗っかって初速を得たいだけだろ。
文章の中間ぐらいなので一回まとめをおいておく。
配信者というカテゴリを構成する上でのコア(変えてはならぬ核心)は、
・キャラクターとして活動するのがVTuber
・生身として出るのが放送主
・裏方(うp主)として出る場合があるのがゆっくり実況投稿者
・3Dアバターに人格をリンクしてリアルに進出するのがメタバース、
であると思う。
誰がなんと言おうが、どれだけ影響力があろうが
非バーチャルである実写をバーチャルと曲解して、
ゴリ押して名乗ろうとする人たちのその辺りの認識はどうなのだろうか?
正直、頭がおかしいとしか言いようがない。というのが私の見解だ。
一方でこんな意見もある。
そう。弊ノートでは毎度おなじみ、
「メタバース作家・バーチャル美少女ねむ」氏である。
※いつも大変お世話になっております。
またいつも勝手に引用してすみません。
この意見を正とするのであれば、
そもそもYouTuberとVTuberは棲み分ける必要がないという話になるが、
私はそうは思わない。
100人居たら100のVTuber観があっていい、
それは多様性とでも言いたいのだろうか?
確かにVTuberというものにテンプレはないし、
明示的なルール(規則)というものは存在しないという点でいえば、
それは正しい。
だがどこまで行ってもリアルはリアルで仮想は仮想だ。
その点を考慮するとこれは
「メタバース側の人間としてのポジショントークにしか聞こえない」
と考えられる。
リアル社会にアバターで生活することは出来ても、
そこに生身は介在しないし出来ない。
そのあたりの認識が恐らく国内の
「Vは生身出すな系原理主義的VTuber」とは相性が悪い。
ということもわかってほしいなと思う。
これは一部の方々については少なくとも4年間ずっと思っていたことだが。
「そもそもあなたは発言力を持ちすぎているんだから、
自分の発言が常識を作るというを認識して、
めちゃめちゃ発言気をつけてよ!!!」っておもう。
リアル配信者は生身を出す。バーチャル配信者はアバターを使う。
リアル配信者は本人の人格を使う。
バーチャル配信者は本人の人格をベースにしたキャラ付けを用いる。
これが最低限度のVというものの条件だろうと思う。
最後に
わざわざ分けられているカテゴリを同一化させる意図はなにか?
アニメの実写は叩かれることが多いがそれはなぜかという事を
考えたことがあるか?
わざわざなんのメリットも関連性もない実写を、
「仮想で実写」という矛盾を抱えて行う意味やメリットは有るのか?
実写でやりたいなら何もバーチャルである必要はない。
生身でYouTuberとして活動すればいい。カテゴリ自体が違う。
今回はこの辺りで締めたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。