自己紹介とここまでの人生の話
はじめまして。大野真由美(おおのまゆみ)と申します。私は2020年9月にマーケティングファーム・株式会社Cozies(コージーズ)という会社を設立しました。はじめましてのご挨拶を兼ねて、綴ります。
はじめに
「共鳴し合える人とたくさん出会いたい」という想いが、会社を育てていく過程で強くなっています。そのためには、私から自分を開示することが必要だと考えるようになりました。
「まずは自己紹介」と書き進めていたら、10代の部活動の話から仕事の話、そして起業するに至るまでの、私の赤裸々な人生ストーリーの開示となりました。この文章を通じて、少しでも私の想いが伝わると嬉しいです。
自分を話すことが本当に苦手です。なので、頑張りました。
最後までお目通しいただけると嬉しいです。
▼簡易プロフィール
幼少期~高校
1992年生まれ。生まれも育ちも東京の下町。4人兄弟の3番目。幼少期は町工場の目の前で育ちました。この町工場は、戦後まもなく祖父のお兄さんが、祖父と数人の仲間で立てた会社だったと最近知りました。(私の仕事のDNAは、おじいちゃん譲りのよう)
幼い頃はとにかくパズルが大好き。ボロボロになるまで一つのパズルで遊んでました。(今でもパズルのピースをはめるようにロジカルに物事を組み立てて考えることが好き)
物心ついたときには運動が大得意。中学では陸上部に入部。結果的に、中高の6年間、陸上競技に青春を捧げました。早朝から夜まで、とにかく走った!!!
その甲斐あり、高校3年の最後の年には、4×100mリレーで関東大会に行くことができました。強豪校揃いの東京都で、偶然に集まった、ごく普通の高校生4人のチームで。
▼関東大会が決まった瞬間(緑ユニフォーム、私は2走)
これは人生の大きな財産になりました。
この経験が「ミラクルは起こる」「チームだから大きなことが成せる」と今でも信じさせてくれます。
大学生
人生が変わる瞬間は、決定的な出会いがある
人生を変える出会いに、導かれた経験はありますか?
自分の人生の分岐を思い返すと、多くの人たちが浮かびます。今の自分は、出会ってきた人たちの良いところをパズルのピースのように組み合わせてできているかもしれないと感じる瞬間すらあります。
ここから私の人生を大きく変えた出会いについて、お話させてください。
農業に関わる人たちと出会う
進路選択は「自分の興味が持てる」×「役立つ」×「希少性がある」分野がよいと考えてました。そこで出てきたキーワードが "医療 or 農業" でした。
そんな時、たまたま学校の図書室で「ギャル農業」という書籍に出会いました。そこには「若い力が農業現場に入る意義」や「農業の可能性」が語られていました。「農業って面白そう」とひらめき、進路として農学部を選択するきっかけとなりました。
私の母方の祖父母は農家で、子どもの頃には畑で遊んだり、採れたて野菜を味わったりした記憶があり、そんな原体験も影響していたのかもしれません。ちょうどその頃、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)や農作物の6次産業化といった話題が注目を集めていて、農業はどこか「これからの時代に必要なテーマ」と感じていました。
結果的に、東京生まれ東京育ちの私が、農業を学ぶ選択をし、農学部で農業を4年間学ぶことになりました。
(後日談ですが、「ギャル農業」を書いた藤田志穂さんとは大学1年生のときに奇跡的にお会いすることができました…!)
「農業は現場に行かないと実情はわからない」と考え、大学外で農業が学べる場所を探しました。そんな中で見つけたのが、学生団体「TeamLAP(チームラップ)」でした。
TeamLAPは、農業と地方を活性化することを目的とした学生団体。茨城県行方市(日本で2番目に大きな湖である霞ヶ浦に面した市)の農家さんと連携し、月に1度、一泊二日で農家さんのお家に泊まり込みで、農業のお手伝いをするという活動がメインでした。
TeamLAPの活動を通して、土づくり、種まき、草取り、間引き、収穫、箱詰め、出荷、商品開発と販売まで。作物を作るところから食べられるまでの全ての過程を経験させていただきました。
知識として知るのと、実際に経験するのはやっぱり全然違う。
土へのこだわりや、ハウスの管理、農作業には細かいスキルや植物への知識が必要であること。収穫して野菜を箱詰めの箱は、農家さんが一つずつ折っていたり。スーパーで野菜を買うまでに、こんなにも多くの行程があるのかと、本当に驚きました。一つひとつの作業に、想像以上に手間がかかっていることを、体験を通して知りました。
またこの活動でのなによりの楽しみが、農家のお母さんの料理をいただくことでした。農作業後は必ず、お世話になっていた農家のお母さんが手料理を振る舞ってくれました。
この料理たちが本当に美味しかった・・・!
手間ひまかけつくられた野菜や地元の食材を使って作られた料理は、なにを食べても愛情たっぷり。本当に、本当に、美味しかった。(今までに1番美味しかったものは?という質問には、このママの料理と答えるほど)
私は「食べる」は、誰とでもできる「共同作業」だと思いました。
一緒に同じ時間と体験を共有して、一気に仲が深まる。
その中心にある「食べ物」には、そこまでに関わる人のたくさんの愛情が詰まっている。人と自然によって作られた農作物を使って、誰かを想い、料理をする。それを人と一緒にいただくこと。
なんて豊かで、幸せなことなのだろう。
「食べる」は身体をつくる以外に、人をつなげ、時間を豊かにするものなのだと知りました。
またこの活動で全国で同じように農業現場で活動していた同年代の同志たちと出会いました。
それぞれの地域で活動し、農業や食の未来について真剣に考えている人たちばかり。当時は「農業 ≒ イケてない」という風潮がどことなくあった気がします。しかし、現場を知り、関わる人たちの熱量に触れ、「農業は面白くて、可能性に満ちている」と改めて思うようになりました。
同じような想いを持った仲間に出会えたことが、その後の様々な場面で励みになりました。また、農業や食を通じて出会った方々の温かさに触れる中で、私自身も成長し、人としての土台を築かせていただいきました。
「いつか、育ててもらった食や農業分野へ恩返しがしたい」そんな気持ちが自然と芽生えていきました。
ラボカフェとの出会いがすべての始まり
私のキャリアを、いや人生の方向性を決定づけたのは、
Lab+Cafe(以下、ラボカフェ)と杉本さん(現・エレファンテック株式会社 取締役&Co-Founder)との出会いでした。
ラボカフェは、本郷三丁目にある学生が立ち上げたコミュニティスペース。「学生にとって好きなことができるディープな溜まり場・異空間」を標榜し、当時は、主に学生メインでカフェを運営するというスタイルでした。(学生版のコアワーキングスペースの先駆けのような場所でした)
夜な夜な人が集い、たわいもない会話やゲームをしている人もいれば、仕事をしている人、会議している人。まるで秘密基地のような空間でした。
大学2年の夏、同じサークルの先輩がスタッフとして働いており、たまたま「遊びに来る?」と誘われ、気軽な気持ちで足を運んだことがすべての始まりでした。
そして、このカフェの立ち上げ人である当時大学院生だった杉本さんと出会いました。
初めて行ったラボカフェで、杉本さんとお話して、直感的に「とにかく面白そう!!」とビビビと来て(笑)、気がつくとその日に「スタッフになりたい!」と申し出ていました。そこから約2年半ほど、ラボカフェにお世話になりました。エピソードが本当に多いので、詳細エピソードはまたお話させてください。
当時のラボカフェは、学生だけでなく、社会人も集い、常に新しい挑戦が生まれていました。
当時の雰囲気がわかるかもしれないインタビュー記事があるので、どんな日常で、なにが生まれていたかはこちらをご覧ください。(以前、杉本さんと同時期にラボカフェにいた清水さんをインタビューさせていただいた記事)
ラボカフェでの予期せぬ偶発的な出会いから、化学反応が起こり、新しいものが生まれる。
そんなお兄さんお姉さんたちの姿を目の当たりにし「そんなこともできるのか!」「世界は広い!」「新しいものはこうして生まれるのか!」と衝撃と刺激をたくさん与えていただきました。
今の私のキャリアの根底は、ラボカフェでの日々、出会った人たちによって創っていただいたと感じています。
特に、人のつながりが生む創造力、新しいものを生み出すアントレプレナーシップは、ラボカフェカルチャーから得た大きな学び。
ラボカフェに出会っていなければ、間違いなく、今頃は全く異なる人生でした。そして、ここから私の人生は大きく変わることになるのでした。
ビービットとの出会いが、私のキャリアの原点
そんなラボカフェで、私にとって運命的な出会いがありました。株式会社ビービットの代表の遠藤さんとの出会いです。
数人で「中国語を勉強しよう」というカジュアルな集まりに、たまたまラボカフェにいらしていた遠藤さんも参加されることに。そのときにお伺いした遠藤さんのお話がとても面白かった。その後、ラボカフェで学生向けに遠藤さんがUIUX講座(だったはず)を開くことになり、再度お会いさせていただきました。
そこで社員さんから、たまたま学生バイトのお誘いをいただき、「遠藤さんの会社であるなら、面白そう!」の一心で「やります!」と即答。
正直、マーケティングやコンサルティングというお仕事がどういうものなのか、当時は全く知りませんでした。しかし、これがデジタルマーケティングの世界へ飛び込むファーストステップとなったのでした。私のキャリアのスタート地点です。
ビービットでの約2年の経験は、私に大きな影響を与えてくれました。
一つは、デジタルマーケティングの可能性と楽しさを知れたこと。分析ツールを使って、数字の動向をみたり、ユーザー調査に同行したり。
サイト上でいかにユーザーの体験をよくするか、数%の改善が成果へ莫大なインパクトになることを知りました。それは、農業と真逆にある、デジタルの世界の可能性に触れた瞬間でした。
もう一つは、仕事は楽しいことだと思えたこと。
当時、1人の先輩についてお仕事をするという形だったのですが、最初にお世話になったのが徳永さん(現 株式会社HERP・取締役)でした。忙しい日々の中でも、いつも優しく、仕事のイロハを一つひとつ丁寧に教えていただき、たくさん褒めていただきました。
また同時期に別プロジェクトで、TEDxの遠藤さんのプレゼンのサポートをお手伝いすることになりました。
このプレゼンテーションは、今でも私のバイブルであり、仕事に対する姿勢の原点です。(当日はスライド担当として最前列で視聴)
遠藤さん・徳永さんをはじめ、ビービットの皆さんのおかげで、「デジタルの世界で働くって楽しそう」「バリバリ働くのってかっこいい!」「先輩方みたいに貢献できるビジネスマンになりたい」と思うようになっていました。
Preziと吉藤さんとの出会い。世界に触れた瞬間
同時期に、私はPrezi(プレジ)のアメリカ・サンフランシスコ支社で働いていた奥田さんと出会いました。当時、TEDなどで広がり始めていたPreziは、拡大縮小を駆使した画期的なプレゼンテーションツール。その独自性に一目惚れした私は、たまたま日本に2週間だけ滞在していた奥田さんに熱意を伝えました。その結果、Preziのエバンジェリスト(学生インターン)として、日本市場でのマーケティング活動をお手伝いする機会をいただくことに。
遠隔でやり取りをしながら、日本に支社のないPreziを広めるという挑戦に携わる中で、日本と海外のマーケティングやサービス提供の違いを学びました。この経験は私にとって「いつか海外でも仕事をしてみたい」という漠然とした夢を描くきっかけとなりました。
またPreziを通じて、吉藤さんにも出会いました。
Preziのエキスパートとしてその後活動され、現在は日本を代表するプレゼンテーションデザイナーの吉藤さん。私にとってデザインの師匠とも言える存在です。クリエイティビティを常に学ばせていただいている方の一人。
後日談ですが、起業したときに「会社の名刺を作るなら絶対に吉藤さんにお願いしたい」と決めていました。頼み込みさせていただき、現在Coziesの可視的な世界観は吉藤さんが生んでくださいました!
▼吉藤さんの作例集(Coziesのロゴも出てます)
どんなキャリアにしたいか?の問い
進路選択の時期になり、とにかく悩んでいました。
「私はどんなキャリアで、どんな大人になりたいのか?」
その問いを繰り返す中で、頭に浮かんだのが、農業の現場で感じた課題感とビービットで触れたデジタルの世界でした。
「農業と農業に関わる人に貢献したい」そこには、私にしかできない貢献分野を持ち寄った方が価値があるのではないか?
「私ならではの武器があるといい」そう思ったときに、ここからより必要となる「デジタル分野の知見を武器にしたい」。そう直感的に思いました。
テクノロジーが進化しても、データを分析したり、そこから価値を見出すのはどこまでも人の役割。農業現場を知った上で、デジタルやマーケティングの知見を持ち込むのは希少性があるのではないか?そんな考えが芽生えました。
そのためには、自分の力をできる限りつけたい。自分の力を若いうちにつけれる環境に身を置こう。
迷いに迷い、卒業3ヶ月を切ったタイミングで就活を開始。そして不思議なご縁に恵まれ、あれよとデジタルマーケティングの会社に入社をすることになりました。
社会人
1社目:ハードワーク・ハード体験
「たくさん成長して、自分の可能性を広げたい。」当時の私はそんな気持ちで燃えていました。
たくさんの優秀な同僚や先輩方に囲まれ、切磋琢磨しながら。
でも、自分が全然仕事ができなくって。悔しくて悔しくて、よくトイレで大号泣してました。
「私は優秀じゃない。だからとにかく量をこなすしかない」と腹を括り、若さを武器に、朝から夜遅くまで猛烈に働きました。
厳しい環境と指導で育てていただき、間違えなくビジネスパーソンとしての素地を鍛えていただきました。今でも感謝しています。
ですが、私の人生を変えた大きな出来事も経験しました。
私にとって大きなトラウマとなるものでした。
ここでは詳細はお話しませんが、この痺れる体験を経て「私が意思決定をする側になる。私が未来を切り開く人になるんだ」と強い決意と、尽きぬエンジンが生まれました。環境と心の準備ができたら、またお話させてください。
これを皮切りに人生が、思いもよらない方向に、より舵を切られはじめました。
2社目:没頭、起死回生
私を救ってくれたのは、2社目で入った会社の株式会社オーリーズでした。
3番目のメンバーとして、入社。私が想像していた以上に、社内の色々なものが整っていない。「ベンチャーに入ったなー!」と思ったのと同時に、「入る会社間違えたかな?」と入社後1週間は本気で思っていました(笑)。しかし早々に「これもご縁だから、1年は頑張ろう」と腹をくくりました。(最初の仕事は社長のおこさんのベビーシッター。今では笑い話)
今振り返ると、当時の私は、人とのうまくコミュニケーションができない状態でした。トラウマにより、心がなくなりかけていました。
また「自分が会社でバリューを作れなかったから、私はこの会社にはいれない。下手したら会社がなくなるかもしれない」そんなことにはしたくない(きっとそんなことをはなかったのですが)。
失いかけていた心と日常を取り戻すため、会社のため。
とにかく必死で仕事をしました。
入社1年目が終わる頃、クライアントから「一緒に駆け抜けられて本当によかった」とたくさんの"ありがとう"をいただきました。みんなのやってきたことが形となり、成果として表れて。そのときに初めて、「あぁ、仕事をするとはこういうことか」と感じたのです。
「私の仕事が、誰かにいい影響を与えられている。そして、それに対してのありがとうをいただく。これが仕事なのか」「こういう瞬間をもっと増やしたい」と。
それまで必死に取り組んできたことが、クライアントに届いていたのだと実感し、仕事の醍醐味に触れた瞬間でした。
2年目に一番大きな案件に抜擢されることになりました。
成果を出すこと、そして、上司を助けることを託された、一大プロジェクト。
重大ミッションにより、完全に仕事へ没頭しました。
私は無敵なマリオのスター状態。
自分のためではなく、すべてのベクトルを目の前のコトへ。120%でクライアントと向き合い、貢献できる範囲を広げることに徹しました。
ここまでの私は「成長したい!」「負けたくない!」という気持ちがとにかく強かった。つまり、目の前ではなく、自分へベクトルが向きすぎていました。
でも、没頭することで、純粋なミッションだけにフォーカスすることができたのです。「自分のできるできない」ではなく「このミッションにどう貢献できるか」に集中すると、仕事がうまくいくようになったのです。
自分の成長やバリューをつくる・つくれないなど、自分へのベクトルを解き放ち始めたころ、組織の急成長を体感しながら、自分のやれる仕事の範囲も日々広くなり、「仕事が楽しい」と思えるようになっていました。
当時担当していたお客様からは「大野さん以上の担当者は居ない」と明言していただき、貢献への手応えを感じ、「仕事していてよかった!」と、心から思っていました。
突然訪れた、初めての過呼吸
やりきっている――そう感じたとき、人生で初めての過呼吸になりました。
次の日も仕事するぞと思っていたのですが、社長である多聞さんから「休養のために1週間休んでくれ」と言われ、社会人になって、1週間まるっとなにもしなくてよい時間を、初めて過ごしました。
このままでも楽しいし、不自由なく稼げる、不満もなく、安定している。
でも、ふと「自分の命を本当に最大限に使い果たしているのか?」という問いが心に浮かんだのです。
過呼吸を経験し「明日何が起こるかなんて、本当にわからないんだ」と痛感しました。だからこそ、全力でやり切り、後悔のない生き方がしたい。
では、自分にとって「後悔しない生き方」とはなにか。
それを考えたとき、ラボカフェで出会った「自ら旗を掲げ、変化を恐れず、道を切り開き、新しい未来を創る」という先輩たちの姿が頭に浮かぶのでした。
私も「挑み続け、自分の手と足で、未来を切り開ける人生でありたい」と気づいてしまったのでした。これをしないと、絶対に後悔すると。
そして、1週間後「会社やめよう」と決意していました。
私の生き方が変わった瞬間でした。
とはいえ、その決断から辞めるまで、先のことが決まっているわけでいないことを見抜いてくれた多聞さんが「1ヶ月の間、1週間に1回、壁打ちを一緒にしよう」と打診してくれ、今後の進路について壁打ちしていただきました。
このときは、自分が会社経営できるなんて思っていませんでした。諸先輩方から大変なことをたくさん聞いていたし、そんな簡単じゃない、甘くない。私ができるわけない。そう思っていました。
とはいえブレていた私が「大企業にでも転職しようかなと思っています」と軽率な発言をしたら、いままで怒られたことがない多聞さんから「まゆは一体3年間、ここで何をやってきたんだ。そんなつまらない選択はしないでくれ」と喝を入れられました。その選択は私がずっと話していた未来に繋がらないよと。
そうなると、メガベンチャーもベンチャーも経験したから、残るは自分でやるのみ。周りに相談したら、まずは「一人で仕事をしてみたら?」とお仕事をいただけ、あれよとフリーランスになっていました。
そして起業
1年一人でやってみて、ふと思ったことは「ただ稼げればいいのではない」ということ。私は「チームでミラクルを起こす」ことがしたい。意思決定をしていく側になりたいんだった。そのため、自分でつくることをしよう。
周りの方々に背中を押していただき、ついに独立を決意しました。
自分の成したいことに向き合い続け、選択を重ねた結果、行き着いた手段が起業でした。
ここから
一人ではなく、ちから合わせて
今は私はデジタルマーケティングの支援を通じて、企業の成長を後押しする仕事に取り組んでいます。
では、Coziesがこれからやりたいことはなにか?
「マーケティング」「農業」「海外」
この3つのキーワードが、Coziesでのやりたいことです。
これは、私の人生に紐づいていました。
マーケティングの力で、人や企業がもつ可能性を最大限に引き出す。そして、農業というこれまでの経験と深く結びついたフィールドで、新しい価値を創造する。さらに、海外という未知の舞台で、日本の強みを世界へ発信する。これらキーワードを融合し、今まで誰も見たことがない新しい景色を作りたいのです。
私たちが目指すのは、単なるビジネス成功ではなく、社会に根付いた課題を解決し、未来を変えるインパクトを生むこと。
挑戦はまだ始まったばかり。このたった一度きりの人生を、そのために使うと決めた。だから、日々、挑戦を重ねているのだと思います。
一人では成し遂げられない夢だからこそ、力を合わせたい。
どうか、あなたの力を貸してください。
お礼の気持ち
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
自問自答を繰り返す日々ですが、ここまで来られたのは多くの人が愛情を注ぎ、育ててくださったおかげです。いつも「あなたならできる」と信じて支えてくれたことに、本当に感謝しかありません。
このnoteを通じて、少しでも私やCoziesのことを知っていただけたら嬉しいです。
冒頭で書いた通り、お恥ずかしながら、人に頼るのもまだまだ下手だと感じています。やっと最近「自分を開示していい。ゆらぎすら人に共有していいんだ」と思えるようになりました。個人としては、大きな前進。
それは、ここから多くの方々と共鳴したい。
出会うべく人たち、出会いたい人たちに、会いたい。
そのために、つくりたい未来を、自分の手で、たぐり寄せよう。
その一心で、まっすぐな気持ちで。
この文章を書き上げました。
わたしと一緒に未来を創る仲間になってください。
みなさんのお力を貸してください。
感想があれば、コメントや個別メッセージで、是非、教えてください。
これからもよろしくお願いします!
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