知恵熱が出そうな(メモ)
今日は世田谷パブリックシアターで『彼女を笑う人がいても』を観劇してきた。
今まで座ったこともない、前から2列目の席で、まずは役者の迫力に暫く舞台を直視出来なかった。
物語は1960年と2021年が舞台。
どちらも(祖父と孫の関係でもある)新聞記者が主人公。
60年安保闘争の最中に命を落とした学生、「彼女」の死の真相を追った新聞記者。正義を持って真実を伝えようとしても、そこには立ちはだかる上層部や組織。
彼の記者としての思いと行動と言葉にどんどん引き込まれていく。
それなのに、対立する上層部の、物は言いような言葉にもモヤモヤしながらも一理あると頭の片隅で思う自分がいた。
一方、現在の新聞記者は震災の被災者を取材していたが、配置換えで継続が出来なくなる。会社はオリンピック報道、特に見てくれがいい内容に軸を置きたいらしい。
消されそうな被災者たちの言葉がズシッと心に刺さる。
日々の生活で耳を傾け、想像することを忘れてしまってないかい、私?
それぞれから発せられる言葉が真っ直ぐで強い。
でもそれぞれが向き合って発している。それが辛く感じることもあった。
演出家の栗山氏が今の日本を「言葉から逃げている」と表現したそう。
私もマウントを取ったり、無視して言葉から逃げているのに慣れてしまったから、向き合って出された言葉が辛く感じたのだろう。
あっちこっちから出てきた言葉たちで知恵熱が出そう。咀嚼と消化なんてまだ出来る所まで行っていない。
本当に凄い芝居を観てしまった。今、観れて良かった。