【121/1096】待つことの大切さ
121日目。今日は節分ですね!「鬼は外、福は内」で豆まきしました。
子に「鬼はどこにいるの?」と聞かれて、「人の内側」と答えたら、「そうだよね」とあっさり納得してくれて、自分で答えたくせに、おお!と思ったり。
カーリングママという言葉があるらしい。(カーリングペアレントというデンマークが発祥の言葉らしい。)
たぶん、この言葉は鴻上尚史さんの「ほがらか人生相談」で読んで知ったと思う。
先回りして、なんでもやってしまう。
子どもに理想像を押し付ける。
子どものちょっとした失敗にくよくよしてしまう。
いつも焦ってたり、気持ちに余裕がなくせかせかしている。
そんな特徴があるらしく、子どもの成長を妨げる過干渉で過保護な親のことを指す言葉だ。
要は、子どもが何かをやり始めて、やり終わるまで、待てない。
やり始めるまでも待てない。
そんな感じなのでは?と思う。
私は、実は、自分がこういう親になりそう・・・・とすごく思っていた。
待てないのである。
待ってる間に不安と心配と恐怖がたくさんおしよせてしまい、それを取り払いたくなるからだった。
そして、居ても立ってもいられず、なんらか手を出さずにいられない。
子育てに限ったことではない。
子どもが生まれる前からそんな感じだった。
先のことを考えて不安になり、焦り、不安を取り払おうと必死になって何かやるが、ピントがずれているので、さらに不安になる。
もしくは、一瞬は楽になるが、また不安になって、からまわる。
そんな連続であった。
とにかく、待てないのである。
私だけではなく、遺伝子的にも待てない種族であった。
父は気が短く、「待つ」ということが死ぬほど大嫌いで、ぜったいに待たなかった。
どうしても待たなければならないとき、
例えば、病院で診察を待つ間などだが、待っている間、周りの人が振り向くほどの貧乏ゆすりをしていた。
イライラが目に見えてわかる人で、これは待っていることにならないよな・・・と思っていた。
つまり、いわゆる、せっかちな性分なのである。
これは父親だけではなく、父方の親族はみなこんな感じだったので、遺伝子的なもの&生まれ育った下町の文化的なものかもしれない。
「待つ」というのは、人を信じるというときに、非常に大切だ。
待てない、ということは信じていないということとイコールになることがある。
待ってもらえなかった側がそのように感じる。
子育てで、待つことが大事だと言うのは、子どもの成長のためにということもあろうが、「子どもを信じている」と言う行動が「待つ」ことだからだろうなと思う。
「自分は信じてもらっている」というのは、その人に勇気を与える。
怖くても、勇気をだしてみようと思える力を与えてくれる。
私はそう思っている。
そして、この「待つ」ができない私が、少しずつ待つことができるようになったのは、身体のおかげである。
待つことができない人は、自分の身体を身体が動きたいように動かしていない。
身体が動きたいように動く前に、頭(思考)で身体を動かしている。
身体が動きたいように動くのに、「待つ」という動作が入る。
これはほぼ無意識の領域でやってることなので、普通は気がつかないと思うが、呼吸・整体では、森田先生がこれを技術に落とし込んでくれているので、誰でも気づくことができる。
ほんとすごい技術だ。恩恵にあずかって本当によかった。
これに初めて気がついたとき、どれだけ自分が待っていないかということに打ちのめされた。
なんも信じてないんだなー------と驚愕した。
口では、「信じる」とか言っていたけど、まるで出来てなかった。
そういうことも身体は全部正直に教えてくれる。
その頃、まるで自分を信じていなかったので(自己信頼0だった)、身体の動きもそのようになっていた。
そのようになっていることにすら、まったく気づかなかったけれども、身体は正直なので、そのまま体現してくれていたわけである。
「待つ」をしてから動くという流れに乗ってみると、すごく面白かった。
待った方が圧倒的に楽だし、どこにも力み(つまり邪魔)が入りにくいということに気づいた。
そして、思ったのである。
自分の身体ですらも待っていないのに、他者を待てるわけがない・・・と。
自分が出来てる分しか、他者に出来ることはないわけで。
だから、自分でやるしかないのだなと。
自分の身体で、練習する分には、誰にも迷惑かからないし、自分は楽になるし、いいことづくめだなと思った。
行先を決める。
そしたら、もうその方向性が生まれる。
身体が動きたいように動けるように、邪魔をしないで待つ。
動きが生じたら、それにタイミングよく乗っていく。
その動きが終わるところまで、納める。
これをただ繰り返し繰り返しやるだけで、自分を信じることができるようになった。
自分を信じられるようになると、人のことも待てるようになる。
今の私は5年前より、相当待てる。
そして、この「待つ」というのは、あらゆるところに影響している。
(待つだけじゃないけども・・・)
最近、自分のゲシュタルトがまた崩壊したので(←この使い方はあっていない気がするがそんなイメージ)
待つをまた1からやりなおしている感じで、
まだこんなに待ってないかー!!!!と思うこと満載である。
でも、やらないよりもやった分だけ、必ず先に進めるというのは、すごくありがたいことだ。
今日、下腹部が開通した。
丹田の下、恥骨までの間の下腹部が今までまったく反応しなかったのだが、
かすかに凹んでいる感覚がつかめた。
ずーっと「わからん・・・・」と思っていたのだけど、「これか!!!!!!!」となったときの喜び。
たぶん、コロンブスがアメリカ大陸を発見したくらいの喜び感。
でも、じわりじわりとくる。
めちゃめちゃ地味で、たぶん、外側から見たら誰にもわからないくらいのことだけども、自分にはわかる。
やった分だけ身体が応えてくれるってことだなあと思う。
ほんとうにありがたい。
というわけで、「待つ」は身体の技術でだいぶ体得できますよ。
では、またね。
■告知■
◎呼吸オープンクラス
これこそ、「待つ」練習です。マジで万能ですな、このワーク・・・おそろしいほど。
動的瞑想 2/4(金)
https://dotekimeiso211227.peatix.com/
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