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「鑑賞する」ことの面白さ
今日は、子どもが習っているバレエ教室の年に一回の発表会の日で、大舞台で踊る我が子を観て、成長を感じて胸いっぱいだった。よくがんばりました。
中学生や高校生が踊っているのを観ていると、継続して習い続けると到達していく領域があるんだなあと感じた。
ところで、私はバレエとはまったく無縁の人生を送ってきて、子どもがバレエを習い始めるまでは、バレエ好きな友人たちがいて2度ほど、海外のバレエ団の公演をバカ高いチケットを買って観にいったことがあるが、どちらも途中でけっこう微睡んでしまい、全部を通して観ることができなかった。
子どもがお友達がやっているの知って、習ってみたいと言い出したのが3歳の時で、バレエ教室を探していて、紹介してもらったのが、今の教室だ。
初めは発表会を観に行った。そのころは、子どもが小さかったので、ずっとじっと観ていられないというのもあったが、全部の発表を観られるような力がわたしにもなかったと思う。
綺麗だなーとか、衣装が素敵、などの感想は湧いても、セリフのある演劇の方がやっぱり面白いしなーと思っていた。
子どもと一緒に、親子クラスでバレエを習い始めた。
最初は、子どもが一人でクラスを受けるのはちょっと難しかったからで、「ママと一緒がいい」というので、まあ親子クラスなら、3、4歳の子と一緒にやるだけだし、なんとかなるだろうと思って、習い始めた。
わたしは、身体の柔軟性がなく、股関節も硬いので、足が開くわけでもなく、伸ばした足におでこがつくわけでもない。
その上、バレエをやるのに致命的だなと思うのは、リズム感がずれてるということだと思う。頭のカウントと、身体のカウントが合わない。頭で思ってるように身体が動かないともいう。
先生と同じようにやっているつもりなのだが、鏡で踊る自分を観ると、まったく別物になっていたりする。うーむ。
そんな感じでバレエの才能はまったくないが、それでも子どもと一緒に週に一度のバレエはけっこう楽しく、4年間続けてきた。
そしたら、バレエの鑑賞の能力も上がったように思う。
今日、観ていたら、それをすごく思った。あれ?わたし、すごく理解できる、と。
昨日のノートで書いた学びのシェア会で、友人の聖子さんが「美的発達段階」についてシェアしてくれたことがある。(美的発達段階の話は聖子さんの記事をぜひご覧になってください)
この美的発達段階によって、「鑑賞」に違いがあるということを聞いていて、バレエを観ている自分にその段階を感じた、というのがしっくりくる。
自分が実際に体験してその身体の使い方を知り、バレエの用語や成り立ちなどもざっくりと調べたりして知識もつき、バレエの鑑賞の仕方が変わったという感じがした。
プロのバレエの公演を観に行った時にも、それを思ったんだった。
自分の鑑賞している視点が、以前とは明らかに違うし、興味や関心も違うし、身体の使い方や技術の素晴らしさや、この軽々やっている技が如何に難しいかについてわかって観るのでは、全然違ったものに見えるのだなーと思った。
美術の鑑賞もわたしは大してしてきてなくて、語れるものはあまりなく、美的発達段階が高いとはとても言えないのだが、このように大人になって、アラフィフと呼ばれる年齢になっても、変わり続けていくことができるのだという発見は嬉しい。
可愛い子どもや孫の演技が終わると席を立って帰る人たちを見て、かつては自分もそうだったなーと思い出して、考えたことを書いてみた。
知り合いの演技が終わって帰るという鑑賞の仕方ももちろん有りで、それはそれで良いんだけど、わたしにとっては、違う鑑賞の面白さを手に入れられたことは、わたしの人生の豊かさの土壌が広がったような気もして嬉しい。
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