【233/1096】いちいち針で刺さない
233日目。ベースが英語でやる仕事で一緒にやらないか?とのお誘いを受けて、ほとんど英語は話せないのにやることにした。コンテンツをつくるのに、文化の違い、文脈の違いが如実で面白すぎる。まさしく多様性。
昨日書いた記事がちょっと中途半端な気がする・・・と思い、また書く。
毎日書いているとこういうことが出来るのはよい。
My Treeという虐待をしてしまった親の回復プログラムがある。(「虐待・親にもケアを」という本に詳しいのでぜひ)
エンパワメント・センターの森田ゆり先生の研修講座では、この本がたびたび出てくるので、私も何度も読み直している。
このMy Treeプログラムに、10の前提というのがある。
私はこれがすごく好きだ。
参加者はベストを尽くしている。たとえ努力しているように見えなくても。
参加者は失敗しない。私たちの対応が、あるいは彼らの環境が彼らを失敗に追い込んだだけだ。
参加者は問題のすべてをもたらしたのではないが、それを解決する責任がある。なぜならほかに誰もそれを解決できないからだ。
参加者は今よりもっと努力できる。変わりたい願いを持続できる。
実践者はプログラムを信頼する。(カリキュラムを変更しない)
実践者は、支援の方向が見えなくなったときは、いつもMy Treeの基本目的に戻る。
実践者は誰でも間違いを犯す。私たちは誰もが間違えたことがあることを認めよう。そうすれば自己弁護をいつまでも続けなくてすむ。私たちにはそれぞれの限界があり、その限界を認めてよいのだ。
実践者はチームのほかの実践者の力と多様性を尊重する。
実践者がベストを尽くしても、いつも期待する結果を得られるわけではない。
実践者にはたくさんの支援が必要だ。
(「虐待・親にもケアを」P245~246より。太字は筆者)
ここに「参加者はベストを尽くしている」とあるが、私たちの誰でもみなそうではないかと思った。
どんなに失敗した、問題が起きた、なにかよくないことがあったとしても、その時点でのベストを尽くしているのである。
それが、人間関係を壊すような行動であったとしても。
その状態が変わらない人は、自分ではなく周りを変えようとする。
でも、私たちは他人を変えることはできない。
逆を言えば、自分が変わろうとする限り、必ず変わる。
そして、環境や成育歴がいまの自分をつくったとしても、なんらかの困りごとがあってそれを解決したい、変えたい、と思うのであれば、自分にそれを解決する責任があると、引き受けることが必要である。
自分が変わろうとしている、変わりたいと思って努力しているのに、変わらないというときがある。
それが、「自分に否定語を使っている」ときに顕著だ。
ダメ出しとは、自分を批判的に観て、その対処ができることではない。自分を批判的に観ている人は、必ず気づきがある。
ダメ出ししていると、気づきが起きない。ループだけする。
「私はダメだ」と言って変わる人はいない。
変わりたいなら、言葉を変える必要がある。
「私なんか・・・」「私なんて・・・」「どうせ・・・」と毎日ちょっとした小さいことかもしれないが、いちいちいちいち、針を刺している。
針で一回ちょっと刺したくらいでは、ちょっと痛いくらいで、血もでないし傷あとも残らない。
しかし、毎日毎日、何回も何十回も何百回も何千回も、同じところをずーっと針で刺し続けたら、どうなるであろうか?
最初は大した傷ではなくても、そのうち、ものすごい傷になり、傷は治る暇もなく、どんどんひどくなり、化膿して修復不能になる。
しかも刺している箇所は、柔らかいところで、ばんそうこうも貼れない場所である。
その傷が痛くて痛くてたまらなくて、どうにかしたいと思っているなら、自分で針で刺すのをやめるしかない。
それが、「自分にかける言葉を否定語にしない」である。
そういうひとつひとつでは、それほど大きく傷ついていないように見えて、ずっと繰り返していれば、大きな大きな傷になる。
自分で自分に共感するのが一番難しいという。
でも、自分に共感できない人は、他人にも共感できない。
共感とは、同情でも同感でも同調でもない。
共感とは、「味方になる」ということだ。
もし、絶対的な味方だったら、なんと言葉をかけるのか?
それを考えてみる。
これ、私は最初、まったく出てこなくて、頭まっしろになった。
そのくらい、味方する言葉を使っていないということで、これ、子育てに致命的じゃん!と慄いた。
使ってない言葉は、練習しないと使えるようにならない。
味方になる言葉を日ごろから集めておく。言葉は獲得していくものである。
などなど。
あと、注意したいのが励ましや応援(ガンバレ)である。
元気な人には、励ましは嬉しく感じるものだ。
しかし、傷だらけで血まみれの人に、「ガンバレ」と言うだろうか?
元気になってから、好きなだけがんばればよいのだから、回復するまでお預けにしておいたらいいのではないかと思う。
あと、ひとりで抱え込まないで、人に話すのがいい。
傷だらけになってたら、誰かに力を借りて、助けてもらうのは当たり前のことだ。
なんでもかんでも自分でやらなきゃというのは、自分で責任を引き受けているのとは違う。
助けが必要な時に、助けを求められるのが責任を引き受けていることだから。
では、またね。