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【897/1096】期待に応える
花屋さんの店頭にチューリップが出ていた。
春のはずなのに、寒い。こんな彼岸はあまり記憶にないなーと思う寒さ。
チューリップを花束にして買って帰る。
家に花があるのはいい。
昔、「他人の期待に応えなくていい」と言われてホッとして、楽になった。
自分の存在価値を、人の期待に応えて、それを実現することで測っているところがあって、それをしなくていいと言われたから、ホッとした。
期待に応えないと、ここにいてはいけないとどこかで思っていたのだろうと思う。
しかし、よく考えてみると、当時は期待に応えようと必死にがんばってはいたが、期待に応えられたことはあまりなかったのではないかと思った。
いや、期待をされていたのかどうかも怪しいよな、と思う。
なぜかというと「そう思っているよね?」と自分が考えていた相手の期待に必死に応えていたからではないか。
相手と合意形成したわけでもなく、目標設定したわけでもなく、なんとなくそうではないか?と思っていることを、相手に確認することもなく、していた。
子どもは期待されると、喜ぶ。
自分がいまよりほんの少し背伸びすれば手が届くような期待をかけられると、「自分はできる」と思って、張り切って取り組んだりする。
「できるよ、期待しているよ」と言われて「自分は期待される存在なんだ!」と喜んで、そして必死に取り組んでいる
そして、期待に応えてやり遂げて「見て!」と言い、見てやると、自信をつける。
その姿を見て、こういうの、なんかすごく健全よなーと思った。
期待に応えるのが悪いこと、あなたには無理なこと、しなくていいことと、言われたら、とても悲しいだろう。
健全に期待されて、それに全力で応えるというのは、人の成長に必要なことなのではないか。
健全に、というのがポイントだけれども。
健全な期待かどうかは、息が通るかどうかで判断できる。
息が通らないなら、なんか不純なものが混じっているのかも。
息が通らない期待は応えなくていいが、息が通る期待は存分に応えようとするのがいいと思った。
応えられるかどうかは、これまた自分次第。
では、また。
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