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他者があらわしてくれるもの
今朝、普段使わない剃刀で、手の指をざっくりと切ってしまった。
やった瞬間、「あ、これやばいやつ」とわかった。
やばいやばいと思いながらも、とりあえず、呼吸を調えて、止血し、急いで病院に向かった。
わりと落ち着いて行動できた。
それでも、午前中は気が滅入って、落ち込んでしまって、友人に嘆きを共有して、回復に応援をもらったりした。
昨日の夜、とても傷ついてしまうことがあり、久しぶりに泣きながら寝た。
そのことを、考えていたから、こんな傷を作っちゃったのかなあと思っていた。
これは、わたしに何を学んで欲しいと思っているのだろう?
そのようにみてみると、
すごくショックなことを言われて、それを嫌だと言えないで、傷ついて泣く自分
というのが浮かび上がる。
これは、Noを言わなくてはいけない自分でなくてはならない、Noと言える自分に価値がある、というところに、わたしがまだいて、その揺らぎだとある人から示唆されて、本当にそのとおりだなと思った。
そして、そこに居続けるかどうか?ということを問われているのだな、と思う。
Noと言わなくてもいい自分であることをゆるせばいいだけだ。
Noを言わなくてもいいというのは、NoをNo以外のことを言わなくてはいけないということではないのかもしれない、とふと思った。
わたしがNoを言わなくてもいい、そういう世界で生きられるとしたら??
他者が何をあらわしてくれるか?というのは、自分の内側の揺らぎを、見せてくれているのだなと思う。
他者を通してしか、自分を見ることができないから。
わたしがここから何を学んで、どう変わるか?
または変わらないか?
を面白いことが起こっているな〜と思ってみてみたいと思う。
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