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【229/1096】2年間の学び
229日目。肩の緊張がゆるんで、肩甲骨の存在を感じられるようになった。2センチくらい肩甲骨が下がった気がする。(実際に測ったわけではないが)もともとこんな位置だったのかなあと思うと、ほんと頑張っていただいてありがとう、がんばらせすぎちゃってごめんねという気持ちになる。身体はいつも最善をつくしてくれている。
さて、今日は、呼吸・整体スクールの2年間の学びが修了し、無事に応用科の修了証をいただいた。
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この2年間のスクールでの学びは、過去10年分に匹敵して余りあるなと思っている。
私は、かなり学び散らかしてきた。
特にここ10年くらいは。
学びに掛けたお金を全部計算したらベンツ1台くらいは余裕で買えるんじゃなかろうか。
ずっと何かを学んでいると言っても過言ではない。
それなりの資格や認定なども取ってはきているが、いつも何か足りない感で次の学びに手を出すという感じだった。
生涯学び続けるのが人間という存在であれば、学びに終わりはないとは思うが、やみくもになんでも学んでいても「自分はなぜこれをやるのか?」に対する自分の答えがないままだと、学びが迷宮入りすると言うのが実感だ。
「自分にはなにか足りない」「今の私では十分ではない」から学び始めると、いつまでたっても十分にはならず、何か足りないままだった。
当時は気づかなかったけど。
スクールの1年目でそれを痛感して、できない自分を埋めるだけの学びではなく、受け取るものは受け取って、できていないところは向き合って、少しずつでも向上するように取り組むことをしてきた。
毎回の授業の前に、今日、この授業で自分は何をするか?何を得るか?どう変わりたいか?を考えて、何となくでもいいから自分なりの答えを持ってから行くようにした。
私はそういう目的?意図?を明確にしてから何に取り組むということをまったくしてきていなくて、これを考えるのも一苦労だった。
しかも、たいそうなことを考えているというわけではない。
今日は、絶対にこれだけやる、ということを決めるだけでも私にとっては今までにないことだったというだけだ。
だから、全然持って行った答えが、違ったなーと思うこともあったし、ちぐはぐな時もあった。
でも、違ったら修正すればいいし、そこに気づけるだけでも次につながる。
今までは、次がない学び方をしていたんだなと思った。
そうすると、学びが点と点から線になって、面になり、立体化していく。
今まで学んだことも、決して無駄にはなってなくて、その立体化はこれまでのいろいろな学びがあっての立体化でもあるなと思う。
そして、ここからが始まりだなという感覚も強い。
ようやくスタート地点に立った、みたいな感じ?
でもないか。
スタートは切ったが、速度をあげていくみたいな感じか?
来月からは、来期の学びが始まる。
この場にいられることに感謝しつつ、
貪欲に学んでいきたい。
そして、それを還元していきますよ~。
では、またね。
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