【385/1096】ほとんどなかったことにされている
385日目。今日はいろいろ懸念だったことを、全部済ませることができた。そして新しく始めることもあり楽しみになっている。
小川たまかさんの『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』という本がある。
とても分かりやすく真摯に、見えなくなってしまっているものを書いてくれていて、自分が立ち戻るのに時々読んだりする。
今日、この本を思い出すことがあった。
子どもが足にケガをした。
しばらく冷やしても痛みが引かなくて、引き摺って歩いているので、病院に連れていく。
整形外科で、骨に異常がないかレントゲンを撮ってもらい、その後、医師に説明してもらった。
骨には異常はなくて、捻挫だろうとのことで、包帯で固定してもらって、子どもが立って確認しているときに、夫が来た。
夫は仕事帰りのスーツで、急いで来た感じがありありとわかる風情だった。
(実のところ、私が、この後に別の病院に受診予約があり、2ヶ月待ってようやく受診できるため、夫に早く帰ってきてもらった。間に合わないので、整形外科に子どもを迎えにきてもらったのだ。)
そうしたら、医師が明らかに説明を変えた。
というか、夫に説明を一からし直した。
そして、その説明は、明らかに、明らかに、私に対するものと違ったのだ。
なにせ、子どもが気づいたくらいなので。
(あとから「パパに話すとき、先生、なんか違ったんだよね」と言っていた。)
こういうの、本当にしょっちゅうある。
夫と私とで、子どもに対する責任が違うものは何一つない。
でも、男性が男性に説明をするときと、女性に対するとき、明らかに態度と言葉を変える、みたいなもの。
でも、これに文句を言う人はいない。
だいたいみんな、そういうものだと諦めている。
そして、こういう差別はないことになっている。
これくらい、差別じゃないよ、と言われる。
気にしすぎだよ、とか。
そのことにも、慣れすぎて、何も感じないほうが楽になる。
例えば、習い事でも何でもいいのだが、こちらからリクエストすることがあって、母が言っても通用しないことが、父から言ったら検討してもらえるということが多々ある。
こういうのにいちいち傷ついていたらやってられない、となかったことにしてしまうと、感じなくなってしまう。
夫にした説明を私にしてほしかったとか、夫に説明したのがよくないとかそういうことではない。
夫にした説明と、私にした説明の態度の違いが問題なのである。
(説明した内容も、明らかに夫のほうが丁寧だったし、私にしていない説明もあったけども。)
私がされた説明でも過不足があったわけではない。
医師がぞんざいで、すごく横柄な態度だったわけでもない。
わたしに対する説明も、ちゃんとわかりやすく、必要なことを話していた。
でも、違うのだ。
そういうことではない。
この整形外科の先生は、子どもが何度も世話になっていて、とても感じもよいし、いつも丁寧に診てくれるし、質問もしやすいし、何かあったらまた診てもらおうという信頼ができる医師だ。でも、そのような人でも、無自覚に沁み込んでいる。
帰宅後、家族でこの件について話す。
知って気づくことは、とても大事だと思っている。
特に子どもたちにとって。
そして、私自身も、これに塗れないことがものすごく大事なのだ。
塗れたら、すぐに自分がいなくなるから。
自分をなくさないために、この違和感を放置しない。
では、またね。
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