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【5/1096】パワーと特権

5日目。
まだ一週間経ってないのだなーと思うと時間は緩やかに進んでいるようだ。
でもまあ、それも今だけかもしれない。

今朝は、サラ・ペイトンさんの「パワーと特権:社会や集団の中で何が起こるのか~NVCと脳科学を通じて探求する」という講座を受講した。
なんと、無料公開の講座だった。
ありがたい。

以前に受けたサラ(親しみを込めて敬称略)のワークショップのブログがあった。↓

サラのNVCのワークショップは、たしか2016年くらいから参加していて、日本に来られたときは、できうる限り出席している。
去年からオンラインの講座を開催してくれるようになって、参加しやすくなったのがありがたい。
サラは、NVCという非暴力コミュニケーションのトレーナーであり、ファミリーコンステレーションというワークのファシリテーターであり、脳神経科学の知見を多く持ち、研究にも詳しい。

サラの初めてのNVCのWSで、人生でこれほど泣いたことはないというほどの号泣をしてから、わたしにとっては特別な存在である。
少女のようなかわいらしい笑顔に癒されるし、声を聴くと安心する存在。
(私は英語が話せないので、直接の交流はできないが。)

サラは、去年くらいから、特権やパワー、恥といった概念を丁寧に解説してくれて、人類の痛みに寄り添っている。(と感じる)

特権について、こんな説明があった。

グループにおける権力と特権

もし「それ」について
考える必要がなかったら
それは特権

人はひとり残らず、不平等システムの一員として組み込まれていて、特権とパワーに無関係ではいられない。
自分が持っている特権によって、その特権を持たない人に害を与え得る。

パワーについては、一番研究で明らかになっているものは、地位(ステータス)だそう。
地位の高い人ほど、恥を感じなくてすむシステムになっているという解説は、膝を打った。
そして、地位の高い人は、不誠実なことをして、それが公になったときに恥を感じる、と言って、国のトップにあった人たちがスキャンダルを起こして、謝罪会見かなにかをした時の写真を見せてくれたのだが、見事にみな同じ表情をしていた。
サラによると、この顔はステータスの高い男性が恥を感じた時にする表情で、そうでない人とは表し方が違うのだそうだ。
なんと、興味深いことだろうか。

私たちは自分の持っている特権を、当たり前として享受してしまい、それがない人を見下したり、人ではないものとして扱ってしまう生き物なのである。
だからこそ、常に気づいている必要がある。

私たちがひとり残らずそのシステムの一員で、自分を害を為す存在であるにも関わらず、そのことに無自覚で、より特権を持つ存在に対し、正義を振りかざしてしまう。
自分だけは公正でよい人間であるかのごとく。

良い人間で在ろうとすること、公正であろうとすることと、
自分はそうである(公正でよい人間)と無意識に思っていることは
まるで違うということだ。
(本人は無意識である、ということがポイントかもしれない。)

サラから最後に、

謙虚さを忘れない
無力であることを思い出す
普段、目に入らない人たちのことを思い出して、「その人が10歳の時にどんな食べ物が好きだっただろうか?」と問うてみる。

というメッセージがあった。
今日からできることだから、それを実行してみよう。


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