【282/1096】他愛もない思い出
282日目。子がサッカーの合宿に行くので、その準備を一緒にする。一人で出来るように。とても楽しみにしているようだ。このようにどんどん手が離れていくだろうなと思う。自分で決めて、自分で考えて、行動すればよい。
「子どもの頃の他愛もない思い出」は何か?と言われたら、どんなことを思い浮かべるか。
子どもの頃の他愛もない思い出と聞くと、すぐに思い出すのが、友だちの3歳の時の思い出を聞いた話と、解離性同一性障害を生き延びたオルガさんという女性の話だ。
友だちの話は、お父さんが亡くなった後に、アルバムを整理しているときに聞いたもので、家の階段を昇る3歳の彼女が写っている写真があり、
「お父さんと、この時、すっごいいっぱい笑ったんだよね。それがお父さんとの記憶。お父さんとは、この記憶だけで十分なの」と言った。
当時、その言葉はかなりの衝撃を持って私に突き刺さった。
その時の彼女はすでに30代後半で、10代の少女ではなく、それまでの記憶で、その3歳の笑いあった記憶だけで十分だと言ったことが、私にはまったくわからなかった。
彼女に、それがあってよかったね、と思った。
オルガさんは、2017年に来日された。「シェルターシンポジウム2017」で講演があり、そこで話を聴き、ご本人にも対面させていただく機会があった。
とても優しい目をした方だった。
オルガさんは、3歳のころから家族(父や兄)から性暴力に遭い、解離性同一性障害(DID)を発症し、長年その症状に取り組み、克服した。(症状自体は継続している)
専門家として講演活動を世界中でしていて、暴力被害のトラウマについて語り、配慮のあるコミュニティの支援体制づくりを啓蒙されている。
著書である「私の中のわたしたち」の中にも書かれているが、オルガさんは、家族との関係が最悪であっても、愛情にあふれた隣人や教師らとの交流が決定的に重要だったことを何度も強調されている。
隣人たちは、幼かった彼女を注意深く見守り、声をかけ、抱きしめてくれた。
彼女の存在には価値があることや、成長する喜びを感じさせた。
彼女は講演で「専門家でなくても、それはみなさん一人ひとりができることなのです」と繰り返していた。
彼女が大人になって解離性同一性障害と診断された後、自分の記憶がバラバラ(人格ごとに記憶されているため、統一された記憶がない)であることで、自分を信じることも難しくなったと言っていた。
どうやって、人を信じたらいいかわからなかったときに、
「隣の家のおばあさんが『神さまはあなたを愛しているのよ』と繰り返し伝えてくれた」ということを思い出し、
そのおばあさんと同じ目をしているかどうか?で人を信用できるかどうかを判断したと言っていた。
オルガさんの話が、他愛もない思い出であるかは、私に判断できるものではないが、けれども、この話は、壮絶な体験をした幼少期の日々の、ほんの少しの日常の一幕で、それが後々の人生を左右するものだったということだ。
わたしはこの他愛もない思い出の記憶をなかなか思い出すことができなかった。
自分自身の他愛もない思い出はいくらでも思い出せた。
例えば、
学校帰りに、一人でありの行列をじーっと見つめていて、暗くなってありが見えなくなるまでそこにいた、とか。
黄色い帽子のゴムをずーっと引っ張って、びよんびよんに伸ばすのが面白かった、とか。
物干しの下のじゃりを踏んで音を出しながら、洗濯物を取り込んだこと、とか。
ほんとうにどうでもいい、他愛もない思い出。
(一見、大丈夫か?!と思うが、けっこう幸せな記憶である。)
人と関わって、特に家族との他愛のない思い出が思い出せない。
たくさん写真があって、その写真を見ながら、どこに行った、という話はたくさん聞いたけど、そのどれも「自分の記憶」ではなかった。
本当にたくさんのところに旅行に連れて行ってもらったのに、すっぽりと抜け落ちている。
連れて行った甲斐がないとはこういうことだよなと思う。
「これがあるから、大丈夫」と思えるものが、ちょっと思い出せなかった。
でもまあ、あるとき、思い出せなくてもいいかと思った。
思い出せないということは、思い出さなくていいってことだ。
その後、トラウマに関するカウンセリングやセラピーを受けたりしても、過去の私は本当に人に頼るということをしていない。
甘ったれてるくせにそこは徹底しているなーと思うのであるが。
潜在意識のセラピーなどで、「信じられる人に一緒にいてもらう」ということがよくあるのだけど、その時に、人が出てきたことがない。ほんと、人と交流してこなかったんだなあと思った。
子どもたちに、「この思い出があるから、大丈夫」という想い出を手渡せたらいいなと思っていた。
でも、他愛もない思い出は、他愛もないので、これを思い出に!と残すことはできないなと考えを改めた。
他愛もない思い出は、日々の何気ない中での交流で残るものがあるってことだろう。
だから、日々を大切に過ごしていくことしかできないのだ。
過去の思い出を取り戻すよりも、今を大切に生きるのが大事というのは、そういう日々を積み重ねるってことかもしれない。
では、またね。