平野啓一郎著「死刑について」/死刑制度について考えてみた。
重い内容の本ですが、興味を持ち読んでみました。
ご興味ない方はどうぞスルーしてくださいませ。
平野氏は元々は死刑肯定論者だったが、「決壊」という、被害者の心情に寄り添った小説を書く際の取材を通じて、被害者家族に対し国のケアが全くなく放置されて来た実態を知る。
それをきっかけに、人が人を殺す死刑制度に疑問を持つようになり、死刑反対の立場を取るに至った。
何故か。
「決壊」執筆にあたる取材で知った警察の捜査に対する失望感と、
冤罪事件が少なからず起きている事が、彼の死刑反対の気持ちを強固なものにしたという。
もうひとつ。
加害者は苛酷な家庭環境を抱えていることがほとんどだ。そこに至る経緯を社会が支えていない現実があるのに、1人の人間を消す事で問題自体をなかったことにしてしまうことは、行政や立法の不作為であるという考えに至ったから。(それはもちろん、家庭環境を理由に人殺しをしていいという意味ではない。)
そもそも人が人を殺してはいけない筈なのに、理由があれば人を殺して良いというのが死刑制度である。
人殺しをしたのだから殺されて当然という理論は一見正当性があるけれども、人間の在り方として間違っているのではないか、というのが著者の主張であり、私も同感です。
【死刑制度運用の内実】
①執行の実情があやふやである。
法務大臣が変わるから、選挙が近いから、1人も執行しないのはまずいから…などなど、ほとんど恣意的に決められている。
②冤罪事件の可能性のある死刑囚が少なからずいる。(日本の司法は正しいとは言い難い現状がある)
③死刑制度に犯罪抑止効果が本当にあるのか疑問視されている。効果がないどころか、死刑になりたいという歪んだ動機による無差別殺人を誘発させていると言えなくもない。
④死を以て死を反省させることができるのか疑問である。
【世界の実情】
詳しくは後述するが、
ヨーロッパでは多くの国が死刑制度を廃止している。
世論の高まりから廃止に至ったのではなく、多くは政治決断によるものである。
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私も死刑制度に反対の立場です。
その理由は平野氏とほとんど同じなのですがもう1点あります。
数年前に読んだ「十三階段」という小説で死刑が実際に執行される様子に触れた事が大きなきっかけでした。
執行される本人の恐怖もさることながら、執行に当たる人、特にボタンを押す係りの人の苦悩を、小説を通して知りました。
ボタンを押す担当は、部署関係なく無作為に選ばれる。指名は当日の朝。(前もって告知すると皆休んでしまうからだという。)
ボタンは3つ。有効なのはひとつだが、自分が殺したという感覚を持たせないため3人で同時にボタンを押す。
執行後の処置も相当な苦痛を伴う事は想像に難くない。担当官は数日肉を食べられなくなるという。
命じられた職務とはいえ自分が手を下したという事は脳裏から消える事はなく、それが原因でPTSDになる職員も多いという。
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「ゆるし」と「罰」は一見正反対のように見えて、終わることのない復讐の連鎖を止める事においては同じ意味を持つ。(本文より)
犯罪は憎んでも犯人を憎み続けることを手放すことで被害者遺族が救われる側面もあるのではないか。(これは私の意見)
もし私が被害者遺族になったとしたら、当然極刑を望むと思う。
けれどそれが死刑であるより、無期懲役であって欲しい、一生罪に向き合い罪を背負って罪を償ってほしいというのが私の考えです。
最後に、この本の巻末で世界の実情が紹介されていましたので付記します。
【2020年12月31日現在の死刑廃止国と存置国】
①全ての犯罪に対して廃止(刑罰として死刑がない) 108ヶ国
②通常犯罪のみ廃止(特異な状況下の犯罪に限り死刑)8ヶ国
③事実上廃止(制度自体は存置しているが過去10年間執行されていない)28ヶ国
④存置 日本など55ヶ国
OECD(経済協力開発機構)加盟38ヶ国のうち死刑制度を存置しているのは
日本、アメリカ、韓国の3ヶ国のみ。うち、韓国では1997年以降執行されておらず
アメリカでは50州のうち23州で廃止、3州が停止を宣言。連邦レベルでも2021年7月以降停止されている。
今なお国家として統一して死刑を執行しているOECD加盟国は日本のみとなっている。
出典はアムネスティ・インターナショナル日本のHP「死刑廃止に関する最新の報告書、データ」
なお、コメント欄で討論する気持ちはありませんので、本日の記事に対する反対意見は受け付けません、悪しからずご了承くださいませ。
死刑存置を主張される方は、ご自身の場所で記事をお書きくださいませ。念の為^^;
長文失礼致しました。
最後までお読み頂き
ありがとうございます❤︎