
喫茶店でバイトをしていた時の話/クビになった私^^;
短大へ行くのだ、という親の指令のもと、私は私大を受験し(地元国立大学はレベルが高すぎ私のオムツ…ではなくオツムでは到底無理。4年制の私大へ進みたかったが親の反対で別の私大の短大を受験。(以上いらない説明)
小さい頃から「うちはお金がない」アピールを常にされていたので、合格する前からアルバイト先を探し、昔よくあった「純喫茶」で働いておりました。高校3年の3月位から1ヶ月半ほどだったでしょうか。
それまでに経験したアルバイトは、郵便局の仕分けと模擬試験の監督です。懐かしい〜
さて、本題です。
アルバイト募集の貼り紙を見て面接を受けたそのお店は、私の街の喫茶店の草分け的存在のお店で(知らなかった)某電力ビルの地下にありました。
マスターは、私がでんぐり返しをしても入れない前述した旧帝国大学の医学部を卒業された方で、優しいけど厳格な方。
マダム(マスターの奥様)と、私と同じ大学の日文科に在籍していた娘さん他は全て女子大生を雇い、きっちり4時間ずつの3交代制。
始まる15分前にはかならず入り、終わりも15分経ってから帰る。だから、その15分間は倍の女子大生がお店にいました。
世の中の事を何もわかってなかった私が初めて勤めた場所は、
当時190円のネルドリップコーヒーを出す昭和レトロな喫茶店。
190円という中途半端な金額ゆえ、お釣りの計算にあたふたしたり、テーブルを拭くのにコップごと拭いて床に落として割ったり、、ドジばかりしてたけど、
お客さんはほぼスーツを着た会社員で、時々「昼下がりの珈琲を」なんて粋な注文をしてくれる方がいたりして楽しかったです。
が!
短大に無事合格し、入学。
カリキュラムが決まるまでお休みを頂き、そのまましばらく連絡しないままある日行ったら、
「あなたは仕事も出来ないし全然連絡もして来ないから、もう来なくていい」と言われ、あっさりクビになりました(笑)
でも、このマスターいい方で、そんな私にも1杯珈琲を飲ませてくれたのでした。(面接の時もご馳走してくれた♪)
話が前後しますが、
ネルドリップで珈琲を淹れるのはマスターorマダムで、私達は、
目の前に置かれた、抽出後のネルに付いた粉を、ゴミバケツに逆さにシュッ!と捨て、水でシャシャッと洗ってからネルをくるくるっ巻いてドリッパーの根元をキュッて絞る事。(うまく説明できないや)
それが、私はとっても下手くそで、マスターは見てられなかったみたいでした。(クビになった時言われた)
シンクに洗い桶が置いてあったのですが、それをクレンザーでゴシゴシ洗い、何故かビルの流しに持っていって、水を汲んできてお冷のサーバーに入れる、という謎なお仕事もありました。^^;
という訳で、私は人生最初の「クビ切り」を経験し、次のアルバイト先を探すため、貼り紙を見ながらまた街を彷徨ったのでした…。
次は、丸善の地下にあった小さい喫茶店に無事採用され、そこで卒業まで2年間働きました。
私の家が一文なしになる2ヶ月くらい前の事でした。
続く(かどうかはわかりません^^;)
ちなみに、当時のバイト代は時給300円。
珈琲は平均150円位だったかな?
レコードは3000円と、かなり高額でした。
初任給は9万円位だったかなぁ。(そこから2万円家に入れ、奨学金の返還が10年間。月13000円位ずつ返還しました。)
バイト代は覚えているのに、初任給は覚えてないという。
不景気で、翌年お給料が下がった事は覚えています。
短大時代は私の暗黒時代だったけれど、旧帝国大学の方達と合コンや合ハイにも行き、胸ときめかせた事もありました❤︎笑
某電力ビル地下の喫茶店はだいぶ前になくなり、今はお蕎麦屋さんになっています。
当時あった喫茶店は、ほぼ姿を消しました。
寂しい現実です。
それではまた。
最後までお読み頂き
ありがとうございました❤︎