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では自己紹介を
はじめまして。小池真由美です。
今日からnoteを始めることになりました!
初めての投稿なので、自己紹介をいたします。
種子島生まれの西宮育ち
私は一般社団法人 日本英会話教育普及協会(JEEPA)の代表理事を務めています。この協会は「英会話を通して世界を舞台に活躍する日本人を輩出する」ことを目的としており、特に社会人の英会話力向上に資するべく活動しております。
私は、母の故郷、鹿児島県の種子島で当時は未熟児扱いだった2300gで生まれました。当時、家の近くに病院がなかったため、集落中の湯たんぽを集めて温められて事なきを得たと聞いています。その場所は、大崎。現在は、JAXAのロケット発射場で、その地で産まれた最後の子です。
その後、兵庫県西宮市(甲子園球場のすぐそば)で育ちましたが、母のお腹の中、出生直後、毎年種子島に帰省していたせいなのか、ロケットに縁があると思い込んでいるせいなのか、飛行機が大好き(乗っているだけでワクワク)、旅行が大好きです。
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これまで訪れた国は30カ国以上。とはいえ、まずは日本国内全ての県を旅したい、とも思っています。
私が英語の先生になった理由は?
実は、私は高校生まで、ほぼ英語と縁がなく、むしろ国語が大得意だったにもかかわらず、進路室でふと見たパンフレットに衝撃的に惹かれて、英語専科の短大を選んでしまいました。
大事なことをこういう直感で決めるのも今、振り返れば私らしさかもしれません。
帰国子女組、留学組が多数いるクラスに純国産の私は頭を抱えながらも、英語が見せてくれる新しく広い世界を徐々に自分の世界だと感じはじめました。そこから30余年。キャリアの多くは、英語を使った仕事をしてきました。最初の約10年間は教えることはなく、パナソニック、大成建設、東京大学、国立情報学研究所、特許庁、といった異なる環境で常に英語を中心とした仕事をしてきました。そんな私がなぜ、社会人向けの英会話教育に力を入れることになったのか?
長くなりましたので、そのお話はまた改めてさせてくださいね。
それでは、See you next time!
お読みくださってありがとうございました!