道端に落ちたたんぽぽの花
今朝
出勤時にふと道のど真ん中に
誰がが摘んだたんぽぽの花が落ちていた。
とてもシンプルですが
この花の存在感が自分の中で何かのインスピレーションのきっかけになり
幾つかの写真を撮った。
毎日通過する梅林から見える大阪平野は
今日は久々の晴れ間で絶景であった。
私はこのたんぽぽが本当は鮮やかで
誰かが摘みたくなるくらい美しくて儚さに魅了され、一瞬で色んなドラマが頭を駆け巡った。
シンプルに美しかった。
周りには沢山たんぽぽが咲いているにも関わらず、全く気づかず、なぜかこの摘まれて死に向かっている根の無いたんぽぽ、誰かのいたずらで無造作に摘まれて捨てられたのか、、
美しいものの存在を知れたおかげで周りにある更に美しいものの存在を見出せた。
写真に撮ったたんぽぽは本当に美しくて引き込まれるようだった。
何故モノクロにしたかと言うと、ちょっとした気紛れだ。
ありのままが美しいと思う自分はそんな事思いもつかない。
モノクロにしただけで、あんなに美しかったたんぽぽの花、色、訴えかけるもの、全てが灰色になり悲しくなった。
こんなふうにたんぽぽを見る人も存在することがわかった。私にとってはそう。
でも色んな理由でそう見える人も居るし、私が感じなかったたんぽぽのイメージが新しく付加された。
人それぞれ見る人の価値観次第で何事も変わる。
私にとっては素晴らしいものも
その人にとっては結局そうじゃなかったという、ただそれだけの事である。