自分の思い通りになったら、本当に満足するのだろうか?
よく思考は現実化する…みたいな話があるよね
それは『人生なんて思い通りにならない!』と思った通りの人生を歩めるくらい、現実化するなぁと個人的には思う
まぁ上っ面願っていても、本音が優先されるのって所も良くできているなと思うけれど
だから裏表なく願えば、自称『本当の願い』ってモノも現実化が用意されることだろう
その純度が高ければ高いほどってのはあろうけれども、自分がハンドルを握り結果に執着する限り
そこには人間の願いの限界があるなぁ…と思う
その自称『本当の願い』が叶った後で、自身がどう思うかについては、当初の予測通りになるとは限らない
そして人生の最終日あたりで考えるだろう『それで、どうだったのか?』ってね
自分で願ったんだからさ、当然良くも悪くも結果はどうか?と
願ったけど、それでどうだったのか?と
で、心底『我が生涯に一片の悔い無し』とでもなれば幸いだろうけど、結局多かれ少なかれ満たされない何かは残り、この願いの最後の最後で『あれ?もっと◯◯のはずだったのに』なんて感じに微かに残る思い残し
そのオチに気づくチャンスとして
自称『本当の願い』も叶えてもらえるだろう…だからやりたいコトがあるのなら、気の済むまでやる方がいい
結果としてそのチャンスを掴めるかは知らんがそこで幸運にも気づけたら
じゃ、何だったら自分が完全に満たされるのか?
にやっと進めるのかもしれないね
などと嘘が誠か謎の世迷言を言うので、なにを言ってるんだと思うかもしれないが
そんなコト思わずとも
シノゴノ言わずとも
人生なんてやっみたらわかるんだから
自分の好きにやってみて確認すりゃいいのだ
何でもやってみて…最後にゃ自分で自分のケツを拭くんだからさ
大丈夫、問題はないさ…ってね
あなかしこ〜あなかしこ〜