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グローバルの先にあった”みんなちがってみんないい”の意味
カナダで3つの会社を経験していく中で
英語を使って多国籍なメンバーと働くことが日常になりました。
海外の市場をリサーチしたり
日本に出張に行ったり
海外支社のメンバーと会議することもありました。
そういった状況で「自分がグローバルな人材なのか」と問われると
「グローバルの意味がぼんやりしていて、
何と答えたらいいのか分からない」というのが正直な思いです。
英語を使って仕事をしていたらグローバル?
外国人と一緒に働いていたらグローバル?
世界中を飛び回りながら仕事をしていたらグローバル?
グローバルが意味するものって人によってちがってくると思うんですよね。
正直、私がグローバルな人材なのか分かりません。
ただ一つ言えることは、カナダで働きはじめたことで
「他人と自分」に少し優しくなれたんじゃないかな、と思います。
日本で働いていたころは
「みんなと同じであること」や
「周りに迷惑をかけないこと」が当たり前だと思っていました。
そして、自分よりも会社やチームを優先して働いていました。
カナダでは、ひとりひとりの価値観や人生の優先順位を
尊重してくれる土壌があるように感じます。
私自身、心や体の健康がすぐれないときには気軽に上司に相談して
自分の健康を優先するために、仕事を休むこともあります。
小さいお子さんがいる社員の中には
上司と相談しながらフレキシブルな時間で働いている方もいます。
年齢や性別、結婚/未婚などに関係なく、
自分のやりたいことを挑戦することを
前向きに受け入れてくれる社会だと思います。
そういった環境で暮らしていくことで
「他の人と自分は違う人間である」ということを
素直に受け入れるようになってきました。
そして、他人や社会の物差しで自分を評価することが減ったので、
「自分がやりたいこと」「自分が築きたい人生」
に軸足を置けるようになってきたのかな、と思います。
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実はこの投稿を書きながら、
カナダで初めて就職活動をしていたころの自分を思い出しました。
あのころの私は、とにかく
「カナダで英語を使って仕事ができたらかっこいいな~」
「色んな国の人と一緒に働けたら楽しそうだな~」という
ぼんやりとしたグローバルへのあこがれしか持っていなかったです(笑)
あれから4年。
あこがれの”グローバル”が現実になった今だからこそ気づいたことは
「みんなちがってみんないい」というシンプルなことでした❀